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祈ること、願かけることは如何なる方法とていいのだが、あの毎年のことながら明治神宮恒例のシートで覆った特設セットに向かって投げるお賽銭のあり方について、疑問を感じる。
あれで神様は降りて来るのだろうか? 個人の感じ方なのだろうけど、わたしとしては半信半疑である。 それだけじゃない、なんか流れ作業的な、システムの順繰りみたいで行け好かない。 正月三が日は休みなのにスーパーコンビニは年中無休である。 そのせいか、お節は腐りやすくなっている。 本来は腐らないためにも、塩漬、醤油漬け、油漬け、燻製などで保存して食べたものだ。 餅もそうだ。 あれこそは師走に餅搗いて捏ねて、鏡餅にするのだ。 明けてこそ、鏡開きをして食べるのに、真空パックでやるもんだから、黴て来る。 もはや伝統は商売に成り下がった。 既に自分が生まれた頃から、伝統というものは形だのものとなっていたから、そんなものは分かりようがない。 外国の行事こそが換骨脱胎された表面だけの催しが横行していた。 クリスマスも、バレンタインも。 去年辺りからハロウィンが競り出したが、何を商売にしていようか。 さて、今年は何が流行ろうか? 西日本の恵方巻をかぶり付くのもここ最近である。 本来伝統に絡むことは全ての人が参加出来た筈なのに、商売に特化された途端に弾き出される人も増えてしまった。 それがオタクの始まりである。 しかしオタクは弾かれても尚、社会への回帰を望んでいるのである。 オタク達は現実と非常にリンクさせたバーチャルなもので誤魔化し続けている。 なぜか、そうしたアニメやマンガやゲームなども行事ものが関わっている。 それはともかくとして、普通や標準を無理矢理高めの設定にして売り出すなと、言いたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.01.04 02:31:43
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