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北方領土に関して左翼がいつも言うが如く、アイヌの事も忘れるなと主張する。
さて、アイヌとは如何に? 元々日露領土交換条約で北方領土及び千島列島最北端を日本領とし、樺太をロシアに渡した事で一旦解決した筈なんだけどなあ。 しかし、アイヌと言っても千島のアイヌはロシア化していて、ロシア国籍を取っていたから、北海道のアイヌとは違うんだけど。 今の感覚で語ると解らなくなる。 北方領土のアイヌ達は日本列島のアイヌとは違っており、カムチャダルやアレウトの民族に近いとされていた。 千島のアイヌ達は漁民であり、交換条約でも日本に帰属を決めた住人達が農業に従事しようとしても上手く行かず衰えてしまった事から北海道のアイヌとはやはり違うのであった。 彼等はロシア名を名乗っており、東方正教会を信奉していたのである。 ロシア人からはクリルと呼ばれていた様だが、これも他称である。 千島のアイヌを指して列島の全ての先住民をクリルとしていたらしい。 そして支那の方からではクイ(骨鬼など色々と漢字が当てられていた)と呼ばれていたがこれも同じく他称である。 日本からでは何かと言えば、蝦夷である。 自称が存在しないので、さっぱり解らない。 蝦夷社会では主にワタリ(渡黨)、カラコ(唐子)、ヒノモト(日の本)と呼ばれる集団が覇を競っていたのだと言う。 このワタリが何なのか、実はアイヌの様な特徴をしているのだが、和装しており、日本語を話すのだと伝えられている。 結果的にこの和人化した蝦夷(アイヌ)、渡黨が北海道を統一する形となった。 自ら進んで同化したのなら、日本人がアイヌの国を侵略したと言う話にはならない。 因みに北海道とは北蝦夷道の意味である。 蝦夷は「えぞ」と呼ばれているが、音読みに準えれば「かい」である。 蝦夷を海にしたのは、恐らく五畿七道の海道と合わせたのだろう。 それか、既に国内なので蝦夷と言う中華思想そのまま使うのは相応しくないからだろうか。 その蝦夷(かい)から取ったのが支那方面からでの「クイ」になったのだろうか。 昔は国境の概念がなく、民族の境界も当然存在しない。 フランスにおける領土画定の歴史を見れば判る。 日本民族たらしめるのは天皇に帰順するかである。 今は相対化されてしまっているが、日本語を話し、日本国籍を持つ人間が日本人と言う事になっている。 当時の渡黨は当然日本文化に与かっており、天皇に帰順している訳である。 但し、天皇の存在は知らなくとも北海道の蝦夷集団は渡黨の集団に属していた訳だから、この辺りはグレーゾーンである。 丁度琉球王国時代の両属関係に似てなくもない。 この様な漸次的な歴史があるにも拘らず、何故無視をするのだろうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.08.24 05:20:09
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