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カテゴリ:博物館などの記録
またもチケットが当たったので、それで上野の企画展へ行った。 雨が降っていたが、然したる障りは無い。 この概要は、明治の頃のとある日本人(松方幸次郎)がイギリスの画家(F・ブラングィン)と親交を深めて行ったと言う物である。
松方(父は彼の松方正義)は絵を多く蒐めており、日本で最初の西洋的な美術館を建てようとしていた。 一度、その計画は頓挫するが後の当西洋美術館に継承されてるようだ。
さて、こんな概要は此処迄で、絵に関しては(ブラングィン)どう評価しようか。 中々無い感じだと思う。 絵が盛り上がるような感じ。 濃密ではあるが、ぼんやりしている。 ドット的だが、判り易い。
絵を文章で表現するのは難しいぞ。 味を、臭いを、目に見えない物を文章で表現するのは難しい。
肌触り、噛み応えも、擬音語や擬態語等でギリギリ表現できる。 頬や髪を撫でる風も、過去から継承される表現で表す事が出来る。
しかし、永遠に味や臭いは他人に表現する事は出来ない。
此れ迄の通用している表現の幅でしか表現する事が出来ない。 人間は、言葉に囚われてその言葉の中でもがき苦しんでいる。
絵なんて、上手いか下手か解らないかのどちらかである。 後は誰よりも上手い、誰よりも下手糞、比較する事でしか絵の技術を表現する事が出来ない。 人に伝わり難いからこそ、好みが生じる。 伝わらないからこそ、殻に閉じ籠る。
味、味覚は人類の叡智である。 美味い(甜い)、不味い、甘い、辛い、しょっぱい、酸っぱい、苦い、ほろ苦い、甘酸っぱい、鹹い(塩辛い)、ピリ辛…まだまだいっぱいある。 目に見えないが、この感覚は共有出来るのだ。
確か、人類じゃなく生物の始原は味覚から始まったとかなんとか。 物を摂り入れるのに、接触する感覚が無ければ危険を招くからなのだろう。
最も行き渡ろうとしている感覚なのに絵を観る感覚は中々伝わり難いな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.03.17 02:21:08
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