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カテゴリ:毛ー1と夢と挌鬪技
まあ、プライド全盛から活躍してた人だったよね。 一番印象に残った試合はやっぱ小川直也戦で、小川の足を折った事だったね。 その次はやっぱり石井慧との試合だろうか。
本当ならその時吉田は石井に負けて引退するつもりだった。 挌鬪家が出処進退を決める時は、自らの力がそこで及ばなく、窮まった所であろう。
自らが興した試合で負けてこの世界から身を退くと言う覚悟を決める。
去年はHAYATOがぼろぼろの( TAT)に負けて綺麗に引退出来た。 まあ、引退試合も出来ない程体力が衰えてしまうケースも少なくは無いが。 最近では、武蔵である。
最後の試合はジェロム・レ・バンナだった。 その試合は引退試合でもなく、最後の賭けの様な試合だったが、あの時の武蔵を見てもうこの世界では無理だなと思ってしまった。 体が最早挌鬪技に向いてない程弛み、衰えていた。 息切れも激しい。 決して重くもないパンチでふらついてしまった。 最後まで闘うことすら出来ない、哀れな姿を曝していた。
その点で言えば、魔裟斗は本当にぎりぎりだったなと思える。 サワーのちょこっとしたパンチでもよろけてしまってたのには悲惨さを感じたが。
コヒは…、もう言える事は無い。 挌鬪技を語れる程のレベルですらない。 リュウケンから拾われて育ったジャギが、同じ門下で育ったケンシロウに追い抜かれて、憎しみと恨みの余りに北斗の神髄を忘れてしまった、そんな哀れな姿を髣髴させる。 ジャギは、北斗神拳でケンシロウに敵わないと悟り、南斗聖拳に手を出した。 でも、コヒはキック一本なので当て嵌まらないが…と思ったが、アンディ・オロゴンにぼこぼこにされてから、勝つ事だけに拘ってしまった。 卑怯な戦法で勝ち残る事を考える。
そう言えば、カイオウも卑劣と呼ばれても構わぬと言ってケンシロウに勝ちに行ってたな。 だけど、北斗琉拳及び北斗宗家の拳(西斗月拳の雛型)の攻略法が判ってしまった途端に破られてしまってたけどな。 因みに鬪氣を操る琉拳(劉家拳)の攻略法は、自らの主軸を置く事で相手の鬪氣を躱す事が出来る。 宗家の拳は受身の方法である。
そういや日本拳法って、未だにその対処法が判らんものかね? マイナーだから、判らない、そして調べる気もないのかな?
乙のこの日本拳法を日本人で誰が攻略出来る? 空手しかないか? 後は外人が桁外れのポテンシャルを発揮して圧力で封じ込めるしかないか?
外人が拳法を圧力で潰すのって、丸でラオウのする事。
実はラオウも恵まれた体躯のみで伸し上がって来ただけで、拳法の才能なんて何一つなかったのである。 ラオウの才能はジュウザ以下、と言われる。 技術のあるボブサップだな。 丁度、フドウがそんな感じか? 因みにラオウはフドウにビビりっぱなしである。 サウザーにも苦手でケンシロウに探らせてみようと考えていた。
最強のラオウかと思われてたけど、南斗の将達にすら技術や才能の面では劣っていただけ。 唯一の救いは、北斗神拳を学んでいた事によって南斗の将にやっと比肩出来るだけの力を得ただけだった。 ジャギと同じく、トキやケンシロウの噛ませとして送り込まれてただけ。
今思えばジュウケイや黒夜叉(張大炎?)が三人を送り込み、リュウケンが受け入れた理由が判って来そうだ。
北斗の三拳はその内の二つは劉家拳を残して無くなってしまった。 劉家拳は生き残って正統を手に入れて、琉拳と名乗ったんだろうなあ。 だけど、琉拳は魔道の拳とされてたから、どこかチベットの山奥にでも封印されてたのかな? そんでその劉家拳から別れた極十字聖拳が何故か日本で南斗聖拳として生き残ってるな。
元斗皇拳は? これもどマイナーな拳法だったな。 ルーツが判らん。
競技者がいないから日本拳法に当て嵌まるか? 当然、散打は中国拳法なので…乙との戦いの煽りでも拳法の源流だとしてたな…差し詰め、北斗琉拳? でも酔拳とか太極拳とか少林寺拳法とかいっぱいだから良く判らん。 カイゼルの拳法は抜骨法とか言ってたから骨法か?
タフでも灘神影流(弾丸滑り)とか幽玄真影流(幻突)とか覇生流(風当身)とか、これもなんか凄いなと思えてしまう。
受身の拳法である灘神影流は北斗神拳、幽玄真影流は北斗琉拳、覇生流は北斗宗家の拳か? でも前者二つはこの後者の分派なんだよなあ。
話が逸れたが、吉田秀彦よ、お疲れさん。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.04.27 06:01:10
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