047108 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

Eity File

Eity File

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Profile

Eity

Eity

Headline News

2005.07.25
XML
カテゴリ:スポーツ全般
昨日、教員採用試験が行われた。教員採用試験は教員になるためには必須の試験なのであるが、その教採の現状は・・・パンク状態である。

今年の教採は保健体育だけでも中・高合わせて600名を越えたそうである。その中で採用されるのは約1割くらいだと予想されるが、倍率はおよそ10倍、もしくはそれ以上であろう。それは保健体育だけではなく、その他の教科においても同じような現状である。この現状は、現在の日本の不況(採用者の減少)と重なり、教員においても一般企業の入社試験を受ける人たちと同じような状況である。

その教員であるが、あと5年以内には団塊世代の方々が退職し、採用される人数が増えると予想されている。しかし、本当にそう軽視することができるだろうか?教員の定職と同様に児童・生徒の減少も同時に進行しており、学級の減少がどこの小・中・高で見ることができる。その状態がさらに深刻化しれば、明らかに教員の採用枠も減少することになる。さらに、国の不良債権も深刻で、地方の学校への教育費の補助もさらに減少していくはずである。そうなれば、教員志望の学生やその他のOBにとっては厳しいものとなる。

そのような中、指導不足を指摘される教員が増えている。それは、児童・生徒による学級崩壊の問題、さらには信じられない教員による売春などによる不祥事などがメディア等で放映されるのを見れば容易に知ることができる。もちろん、メディアで放送されるのは一部であるため、その不祥事の数といえばかなりのものと想像できる。

教員になりたい人はたくさんいるにも関らず、教員の不祥事や学校における問題はいっこうに解決する様子は見られない。もしかしたら、教採に落ちた人たちの中にかなりの素質を持っている人がいるかもしれない。確かに、教員になるには教採に合格する力が最低限必要であり、それに合格できないものは教員になる力はないと判断される。だが、この中にこれらの学校における問題を解決できる人材がいるかもしれないのに、学校で不祥事を起こす教員や指導力が明らかに見劣りする教員を採用するのはなぜだろうと思うのは私だけだろうか?

私は教員の責任の重さというものを非常に大きいものだと認識している。その責任の重さというのは生半可なものではなく、将来の無限大の可能性を秘めている子供たちの人生を左右するほどの大きさである。その可能性を伸ばすもつぶすも教員の存在である。不祥事を起こしたり、指導力が極端に低い教員に自分の子どもの人生を預けることができるであろうか?もちろん、若い教員にはある程度の寛容な態度が必要だろう。しかし、若い・ベテランに関らず、子どもの人生を担っている教員には、せめて自分が教えている子どもたちに対して責任を持ち、その人生をより良い方向へと導いて欲しいと思う。

教員は時には素晴らしい言動をしたり、時には失敗をしたりする人間である。全てを完璧にできるわけではない。しかし、最低限の責任を持つことはできるはずであり、その責任を一生懸命真っ当する態度は当たり前である。それくらいの熱意と信念を持っている人だけに教員になって欲しい。それは私の願いであ。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2005.07.25 21:59:18
コメント(0) | コメントを書く
[スポーツ全般] カテゴリの最新記事


Calendar

Category

Archives

・2024.05
・2024.04
・2024.03
・2024.02
・2024.01

© Rakuten Group, Inc.