歳を重ねるだけで偉くなれるか?
「頭が白髪になったからといって、 このことだけで彼は、長老(おさ=知恵のある尊敬に値する人) とはいえない。これはただ空しく老いただけの人と呼ばれる。」 (『法句経』第260偈)特に東洋では孔子の儒教をはじめとして「長幼の序」が生きていて、年上の人を敬うことが美徳というか、人として当然のこととされています。そこで年長者が年少者を疎んじたり馬鹿にしたり、年功序列の結果として上位にあるものが、部下を疎んじたり馬鹿にしたりして、こき使う。先輩は後輩を奴隷のように考え、人格さえ無視することが、現代の社会、職場、学校、地域やコミュニティなどで横行しています。前のバブル崩壊で企業や日本経済を未曾有の危機に陥れた責任のある大企業や銀行の経営者達が、地位にしがみついて老害をさらしつつ損失を拡大し、中には歴史ある大会社を倒産にまでできたのは、年長者や目上の者を批判、弾劾できない、我が国社会の欠陥にも思えます。しかし「これは間違いだ。歳を重ねただけで彼は長老とはいえない」というのが、お釈迦様の教えです。「そんな人は、ただ空しく老いただけの人だ」というのです。キビシイですね。ただのアホだというのだから。最近私もだいぶ白髪が多くなってきたので、他人事とは思えません。もっとも孔子様の長幼の序だって、礼儀をわきまえ下から上を敬えという意味であり、上から下を疎んじたり馬鹿にしたりしてよいということではありません。むしろ君子は「仁(=博愛、慈しみ)」をもって、下にやさしくしなければならないのです。「老いては子に従え」とまで言い残しています。これは年齢の上下だけでなく、地位の上下にも当てはまりますからね。人間、若いうちは勉強しなければだめ。そして歳をとればとるほど、勉強しないとだめなようです。それではじめて「知恵のある尊敬に値する人=長老」と呼ばれる資格があるのです。人生の後輩達に嫌われ見捨てられないよう、徳のある人を目指しましょう。うかうか歳ばかりとっていられませんよ。高齢化社会の今だからこそ、これは大切な教えになっているのかもしれません。もちろん机にしがみついて本を読むだけが勉強ではありませんので、ご注意くださいね。読者各位のご健闘をお祈りして 合掌 観学院称徳