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カテゴリ:2020〜日々の諸々
他を求めない、すべては自分自身の中にある。 六月も半ば…数ヶ月間じっとこんなこと考えてました…。 私、自分をひけらかす訳ではないけれど、間違っていなかったなって思う、発病してからの13年という歳月は。 半身浴や靴下をたくさん履いて、血の循環を良くして毒素を出す。 断捨離をして物は少なく、部屋をいつでも清潔に風通し良く。 自然素材の服や家具などを必要最小限に小ざっぱりと、化粧品もなるだけオーガニックのものを。 医者には行かない、頼らない。 (余談だが、自粛中、惰性で通っていた医者なぞに行かなくても問題なかった人は絶対に多いはず。) 散髪などできることはできる限り自分でする。 ひしと感じたことは、私の場合、散歩が心身の健康には不可欠だった。 とにかくゆったり過ごし、神経が立たない暮らしを心掛ける。 美術館や写真など、趣味は存分に楽しむ。 小説は私の心の拠り所。 女性なので、ホルモンバランスには気を配り、するとヘルペスもずっとできていない。 そして、これは最も重要なこと、ただただ淡々とひっそりと今ある日々の生活を送ること、それだけでいい。 他を求めない、すべては自分自身の中にある。 それから、ささやかな夢は絶えず持つこと。 最後に、私はできないことから逃げる傾向にある人生だが、それでいいんだ、無理して立ち向かって行って身体を壊すよりも、得意なことや好きなことに打ち込んで伸ばす人生の方が。 「自分治療」と称して様々なことに励んできた。 実家暮らしで独身だから母に甘え放題なことは百も承知である。 だけど、それまでの生活を続けたならまた再発するに決まっていると、固定観念を取っ払って180度の転換を試み、とにかく身体を良くしようという一心で私なりにがんばってきた結果なのである。 客観的にじっと自分を見つめ、身体の声に耳を傾ける。 そんな年月だった。 こんな世の中に誰がなると想像しただろう。 信じられるものはただ一つ、自分自身だけ。 ずっと孤独な生活をしているせいか、皆が言う人と会いたいのに会えないというストレスも皆無。 そんな術は意外と引きこもり時代に心得たのかもしれない。 さすがに図書館と美術館へは行きたいと思ったが、よくよく考えてみると、自粛生活はこれまでの暮らしとさほど変わらなかったということに気付いた。 私、過去にはいろいろとあったものの、決して運の悪い人生ではないとかねがね感じていた。 事ある毎にその次の道しるべというか、光がフッと目の前に現れて、それを見定めるだけの勘は自然と備わっていたのだと思う。 そして、そんな私は父や先祖様に深く見守られているなと改めて思った。 そして今、密かにたくらんでいることがある。 考えに耽っている時にパッと頭を掠めたことだ。 次回の病院は10月なのだが、私、辞退しようかしら。 例の主治医がこの4月に異動かもしれないとかなんとか言っていたし、10月に終息している訳などなく、緊急でなければ病院なんて場所には行かない方がいいに決まっている。 嘘も方便で、適当に上手く口から出まかせを言い、キャンセルしよう。 もしかしたら、これは病院から離れるとてつもなく良い機会なんじゃないかとそう思えてならないのである。 そう、私が考える最大の「自分治療」、それは病院と縁を切ることなのであった。 もう何年も前から考え続けていること。 10月がチャンスであることだけは確かだと思う。 これを逃すと次はないかもしれない。 この考えに委ねてみてはどうだろうか。 できるんじゃないだろうか。 これまでの我が人生においての取捨選択だけは先見の明を以って全うしてきた。 今月で13年。 心に思い描いてみる。 病気一切から解き放たれた未来を。 病気から卒業して生まれ変わった私を。 ついに来た、私の時代の到来ではないか! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020/06/16 07:14:16 PM
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