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ドイツからしばらく離れます。
今日の新聞で日本の新型コロナウィルス感染者が1万人を超えたとありました。 世界を俯瞰すれば、1位がアメリカの70万、次いでスペインの19万、そして、 イタリアが17万強の感染者が出ています。 およそ一か月前頃のニュースで、イタリアの感染者が非常に多く、かなり心配 していました。・・・と、いうのも、イタリアは私の出張先で断トツのトップの 国で、特に、1990年から約10年に渡っては金沢大学名誉教授の宮下孝晴先生の 解説をいただきながら、イタリア史、キリスト教史、絵画史、建築史など、いわば ヨーロッパの文化を語る上で最も大切なことを学ぶ機会をいただき、この業界に根 を張ることができた国だからです。 今日からは、表題の日本人として初めてヨーロッパを訪れた天正遣欧団が時の 教皇グレゴリオ十三世に謁見するために辿ったルート、そして、謁見後、スペイン に戻るまで北イタリア各地の領主のに歓待された町を辿る形で、北イタリアの見所 をご案内したいと思います。 まず、下の地図をご覧ください。マルチン・ルターがベルリンに近い南の街 ウィッテンベルグで1517年に、カトリックに対し95か条の意見書を出しました。 これを機に、ヨーロッパではカトリック勢力とプロテスタント勢力の対立と戦争 があり、イタリア、スペイン、ポルトガルのカトリック勢力は、東アジアへの 勢力拡大の波に乗り、日本に、フランシスコ・ザビエルがキリスト教を伝えた のが1549年。それから33年後の1582年に長崎から船がローマを目指して出航 しました。そして、8年の歳月をかけて使節団は日本に戻ってきます。 イタリアの使節団のルートは、リヴァルノ港からの上陸から始まります。 本来でいえば、リヴォルノの後、ピサ→フィレンツェ・・・そして、ローマに なりますが、次回は順を変えて、フィレンツェから綴りたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.04.19 10:36:35
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