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多岐さんのブログ

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2020.04.19
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ドイツからしばらく離れます。
 
 今日の新聞で日本の新型コロナウィルス感染者が1万人を超えたとありました。
世界を俯瞰すれば、1位がアメリカの70万、次いでスペインの19万、そして、
イタリアが17万強の感染者が出ています。
 およそ一か月前頃のニュースで、イタリアの感染者が非常に多く、かなり心配
していました。・・・と、いうのも、イタリアは私の出張先で断トツのトップの
国で、特に、1990年から約10年に渡っては金沢大学名誉教授の宮下孝晴先生の
解説をいただきながら、イタリア史、キリスト教史、絵画史、建築史など、いわば
ヨーロッパの文化を語る上で最も大切なことを学ぶ機会をいただき、この業界に根
を張ることができた国だからです。
 今日からは、表題の日本人として初めてヨーロッパを訪れた天正遣欧団が時の
教皇グレゴリオ十三世に謁見するために辿ったルート、そして、謁見後、スペイン
に戻るまで北イタリア各地の領主のに歓待された町を辿る形で、北イタリアの見所
をご案内したいと思います。

 まず、下の地図をご覧ください。マルチン・ルターがベルリンに近い南の街
ウィッテンベルグで1517年に、カトリックに対し95か条の意見書を出しました。
これを機に、ヨーロッパではカトリック勢力とプロテスタント勢力の対立と戦争
があり、イタリア、スペイン、ポルトガルのカトリック勢力は、東アジアへの
勢力拡大の波に乗り、日本に、フランシスコ・ザビエルがキリスト教を伝えた
のが1549年。それから33年後の1582年に長崎から船がローマを目指して出航
しました。そして、8年の歳月をかけて使節団は日本に戻ってきます。
 イタリアの使節団のルートは、リヴァルノ港からの上陸から始まります。
本来でいえば、リヴォルノの後、ピサ→フィレンツェ・・・そして、ローマに
なりますが、次回は順を変えて、フィレンツェから綴りたいと思います。






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最終更新日  2020.04.19 10:36:35
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