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初めてスキーをはいたのが、家から最も近い菅平だった。その菅平は、スイスのダボスの姉妹ゲレンデと知り、一度はダボスでスキーをしたいという思いを持ち続け、実現したのが1996年1月だった。 そもそも、菅平がダボスと姉妹ゲレンデになったのは、戦前の1930年にオーストリアのサンクト・アントン出身のハンネス・シュナイダーが、皇室の招きで来日して、菅平に行った時に、根子岳と四阿山の山容を見て、「ここはスイスのダボスに似ている」とコメントしたことから後に、姉妹ゲレンデの提携につながったようだ。現に、菅平には、「日本ダボス」の碑が立っている。 初めてのダボスは夏場で、しかも、サンモリッツに行く途中に立ち寄った程度でどこが菅平に似ているのかさっぱりわからなかったが・・・ダボスの最高峰のヴァイスフルーの山容をゲレンデから仰ぎ見て、シュナイダーが菅平で感嘆の声を上げたことがよくわかった。 ゲレンデはそのヴァイスフルーの頂上付近の急坂を除けば、比較的やさしいゲレンデが広がり、一滑り5㎞の大回りクルーズを楽しめ、隣村のスキーゲレンデに繋がり、そのダイナミズムに驚かされる。 フランスからスイス、更に、オーストリアにまたがるヨーロッパアルプスのスキー場は3月の初旬が天気が安定して、いわゆる、ピーカンの日が続くとされ、最初は3月に拘って企画をしたが、ヨーロッパ各地のスキー場は3月がスキーのピークとなりホテル代が高くなる。そして、高い割には多くのスキーフリークが殺到するので、気に入ったホテルが確保しにくい状況も出てくる。そんな状況を回避するために1月を選んだその時は、快晴が1週間続き、忘れられないダボスになった。 そのダボスも帰り支度が始まるころに、街角に自動小銃を持つスイス軍の兵士をおぼしき軍人が町の辻に立つようになり物々しくなる。何事かと聞くと、次の週の後半に「ダボス会議」が始まると・・・そうだ、確かに、1月は世界経済の問題点を討議する「ダボス会議」のシーズンで欧米の主な経済閣僚が集まる。今年も、昨日からダボス会議が始まったニュースが流れ始めた。 その時に、思ったことだが、日本からもこの会議に参加している人が、会議が終わって、スキーを楽しむ人が何人いるだろうかと気になった。せっかくのスキーのメッカでの会議でもあるので、熱い議論の後は、広大なゲレンデに出て、あるいは、ヴァイスフルーヨッホの頂で冬景色を見ながら世界を見てほしいものだと感じた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.01.20 06:25:55
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