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テーマ:障害児と生きる日常(4432)
カテゴリ:インクルージョン
来年中学を卒業するおねえの進学希望先は公立の養護学校高等部。
その子の能力に応じた入試もあるのだが、全入が建て前 近年該当者が増えているらしく、調整区域の子や区外になると微妙とのことだ。 親子の事前面談は15分くらいで終わった。 どの程度のことができるのか見たりクラス編成を考える資料にするのかと思った。その子によってできること出来ないことのレベルがあまりにも幅広いから。 高校から中学に見学や調査も来ると聞いたことがある。 中身が色々変わるみたいだ 障害者支援法が固まり 来年再来年たくさんの軽度障害の子の学校が開校する。設立では軽度のつもりであっても実際に集まる子ども達は蓋を開けて見なければわからない。 公立校 心障学級 様々な障害の程度がある。どこに的を絞るのか手探りだ。というより、あまりにも範囲が広過ぎる。十分な人の手当てが基準を満たしているはずなのに結局のところ手のかかる子につきっきり、身辺自立の出来ている子はほったらかしに見えることもある。 現場の先生たちは一生懸命で熱心なのにだ。時々溜め息が出る。 小学校から今の学校に進学を決めたのはこういうことじゃなかったはずだ。 親の欲目から、もっともっとうちの子は丁寧に見てやれば出来ることがたくさんあるのにと歯噛みしたくなることがある。 何故一斉に作業をしなくてはいけないのか。 中学に行ったら中学の勉強がしたい・・・・今ははっきり言わなくなったが 入学当初におねえはよくそう言った。 何故中間テストがないの?やりたいのに・・・・学校に言ったら必要なしといわれた。本当に? 希望をかなえるために中学の数学、お願いして中間テストも遠山真学塾でやっていただいた。こういう指導は中学校にはお願いできないのだろうな。 高等部になったら変わるのだろうか。 学校見学に行ったときにやっぱり、その程度の差があまりに大きく、ここで友達を作り楽しくやっていけるのか少し不安になる。 「うちの学校に来ることで期待していることはなんですか?」 「家と学校以外の居場所を作りたいと思っています。 卒業後もOB会が活発な活動をしているとお聞きしましたので」 今、上からの方針で学校変革がなされようとしている。 目玉だった事業も行事もほとんどが消えてしまう。 本当にここでいいのか、きっと答えはずっと出ない。 親としての役目は、ベストはわからないけど、 与えられた情報や環境の中でよりベターと思われる方向を向いて選択していくだけだ。 時々思う。 おねえは私の人生に打ち込まれた楔みたいなものかもしれないと。 よわっちくてわがままな私が立ってられるのも この子のおかげ。 おねえは、この先の人生も少しのサポートがないと自立して生活していくことは困難だろう。 だからきっとこの先もずっといるこの家をちゃんと居心地のいい場所にしてあげることが母親としての私の役割。 自分の足で時間がかかっても独立していく能力のある息子達に かかわりすぎることは自立を阻んでいるし、 エネルギーのかけ方が間違っているのかもしれない。 時々わかっているのに現実から逃げたくなる。 からだの周りに福祉の匂いをたくさんつけている人達からは少し遠いところにいる私。 活動に食いつかないから物足りないと思われている。熱心さがたりない。 醒めている。なんでもっと子供のことに懸命にならないのか、と。 勉強会 親の会 陳情 作品展 イベント どれも組織の匂いが強過ぎて窒息しそうになる。少し恐い。 これじゃダメなんだろうな。 わかっているんだけどな。 子供だと思っていた もう高校だ その後の居場所はどこになるんだろう 教え方ややり方、モチベーションだけでない先天的な能力の差。 神様は意地悪だ。 「私は賢い子が好きだ」 そう言った人がいた。 その言葉の裏には知的障害の子どもがいるなんていう現実なんか含まれていないんだろうな。 マイノリティは存在そのものも忘れられてるのかもしれない。おねえもそれを支える家族も今の現実を生きている。 本気を照れる兄、はじめの一歩から逃げ続ける弟。 二人を見ているとつい言いたくなる。 あなたたちには、普通に戦う能力があるのだから、 その持ってる力を出しきって勝負してごらん。 勝負できるってことは、とっても幸せなことなんだよ。 その言葉がどこまで届いているのか、愚かな私はいまだにわからない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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