知足・・・高瀬舟という小説をご存じであろうか。罪人を遠島にするために高瀬川を下る舟に弟を殺した喜助という男が乗せられる、 弟を殺し遠島になる喜助はなぜが晴々とした顔をしている、 不審に思った護送役の同心がその訳を尋ねる。 流行病で両親を失くした喜助と弟は助け合って暮らしていた、 やがて弟は病で動けなくなり、兄に迷惑をかけまいと剃刀で自殺を図った、 剃刀をのどに刺し死にきれずに苦しんでいる弟を見つけた兄は医者を呼ぼうとする、 しかし弟は医者を拒否し剃刀を抜いて楽に死ぬことを望む、 喜助はついに弟の喉に刺さった剃刀を抜いてしまった。 こうして喜助は島流しとなる、 喜助と弟の暮らしは決して楽なものではなかった、 島流しとはいっても今までの暮らしよりもずっとましで、 住む場所もお上が用意してくれ、その上鳥目二百文まで貰える、 喜助は今までの暮らしと島流しの暮らしを比べ、その生活に満足している、 嬉しいという。 これを聞いた護送役の同心は喜助の境遇と自分の境遇とを思い合わせ、 さてどちらが本当に幸福なのであろうかと考えてしまう。 知足という言葉を知っているであろうか、 足ることを知る、これで十分ということを知るということである。 さて、私たちは足ることを知っているであろうか、 人間の欲望とは限りのないもので、満たされてもさらに欲しくなるもの、 これで十分とは思わない、 人よりも良い暮らしがしたい、あれが欲しい、これがしたいと人間の欲望はとどまることを知らない、 食っても食っても空腹が満たされない餓鬼と同じである、 もっと欲しい、もっと欲しいと思う限り永遠に満たされることはない。 欲すれば欲するほど目標は遥か彼方に遠のいていくのである、 嗚呼これで十分と立ち止ったとき、人はようやく満たされる。 競争社会に組み込まれ、足ることを忘れてしまった私たちにはもはやとどかぬ理想郷である、 必要のないものを必要と思いこまされ、 作り続け売り続け消費し続ける私たちには入ることを許されぬ桃源郷、 雨風をしのぐ住居があり、空腹を満たす食べ物がある、 文明と引き換えに捨ててしまったエデンである・・・ |