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2020.02.27
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お父さんはアメリカ留学時代、アメリカ人の家にホームステイしていた。ホームステイを決定するときの話し合いで、お父さんは部屋に専用の電話回線を引くことを許可してもらった。理由は日本(主にお前たちのお母さん)との電話(英語が話せないのでホストファミリーが英語で出ても取り次いでもらえない)の為とネットに接続するためだ。
 当時のアメリカはネット回線はADSLなどなく、通常の電話回線が基本だった。

 早速電話会社に連絡をして、電話会社員の訪問日と時間が決まった。お父さんは家で当日ひたすら電話会社の到着を待っていたが結局来なかった。連絡も何もないままその日が過ぎてしまった。次の日になっても電話会社からは何の連絡もない。
 
 仕方がないのでお父さんはもう一度電話をした。電話回線を新規で取り付ける約束の日に、作業者が来なかったことを告げたが、謝罪の言葉もない。そもそも最初の依頼が無かったことになっていた。そして、「新しい依頼」として再度訪問日と時間が決まった。

 余談になるが、日本から見てアメリカ合衆国は紛れもない先進国である。世界一の経済力、政界位置の軍事力、世界経済をけん引し、世界の警察を自称する。スポーツもイノベーションも、芸能もすべてが世界トップレベルの国アメリカ。
 日本より劣る部分など一つもないとお父さんも思っていた。しかしながら実際経験したアメリカはまるで違った。約束しても守らない。約束を破っても、ミスをしても謝らない。そもそもミスを認めない。個人主義、個人責任の国とは聞いていたが、慣れるまでは本当にひどいシステムだと思った。

 2回目の訪問日、お父さんはちゃんと工事の人が来るのかとても心配だった。当たり前のように遅れてやってきたが、もちろん謝罪は無かった。お父さんは予定時間に来なかったことを抗議したが、「都合がつかないなら今日は帰る」とあさっての回答が返ってきた。疲れた。とにかく工事してくれと言うしかなかった。

 そこでまた問題が発生した。お父さんがホームステイしていた家は、アメリカでは珍しい「入り口で靴を脱ぐ」家だった。そのため、工事に来た作業者に入り口で靴を脱ぐようにお願いした。しかしながら工事作業者の答えは「No」だった。
 そしてその理由が、「何かあった時に裸足では逃げられないから」だった。これもカルチャーショックだった。電話工事の作業者が依頼のあった家で工事をするときですが、命の危険を考える国なのかと。
 その作業者は、「靴を脱げというなら帰る」というので結局またお父さんがおれた。土足で家に上げてしまった。そして作業者が帰った後、むなしく掃除をした。

 ようやく工事が始まり、家の配線工事はすぐに終わったが、さらに問題が発生した。電柱についている電話回線の機械が壊れていてすぐには電話が使えないというのだ。そして使えるのがいつになるかわからないというのに、今日からの電話回線利用の契約書にサインをしろと言われた。
 さすがに使えないのに今日から利用料を払うのはおかしいと抗議したが、契約書にサインをしないと電柱の機械の工事をしないと言われてしまった。
 結局お父さんはサインをして、回線が使えるのを待った。実際に使えるようになるのに1か月弱かかった。もちろん電話代は使えなかった日も含めて請求された。

 アメリカに住んで1年ぐらいはこんなことの繰り返しだった。言い合いになればことごとく負けた。以前にホテルの予約でもめたことも書いたが、あの時はアメリカに住んで2年以上経っていた。それでも負ける。お父さんのアメリカでの口論の勝率は1割以下だったと思う。
 アメリカで働きたいと思っていたお父さんが、日本に帰って就職した理由の一つがアメリカ人に口論で勝てないからだ。これについてはこれからもいくつかの話を書いていこうと思っている。

 最終的に電話は使えるようになった。ネットともつながった。しかしとにかく疲れた。そして約1か月分の電話代(15ドル)損をした。





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最終更新日  2020.02.27 00:10:07
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