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カテゴリ:エッセイ
コロナウイルスの世界的蔓延のニュースの中で、スウェーデンの活動家であるグレタさんがコロナ感染の疑いで自主隔離措置をとっているというものがあった。彼女はいい意味でも悪い意味でも世界に影響を与えている。お父さんは彼女のことを調べていて初めて「ビーガン」という言葉と意味を知った。
ビーガンとはベジタリアンのさらに上を行く存在で、ベジタリアンが野菜以外に卵やミルクなどを食べるのに対して、植物由来のものしか食べないのだそうだ。個人の考えでやっていることなので、お父さんが良し悪しを判断する気はない。 ただ驚くのは、ビーガンの人口が年々増加しているということである。 ビーガンやベジタリアンになる人は、心の弱い人だとお父さんは思っている。自分の命を守るために動物の命を奪うことに耐えられないのだから。植物は声を出さないからいいのだろうか。命には変わりないはずだがというのがベジタリアンを批判するときの意見の代表だが、お父さんの意見は心の弱さだ。 そしてもう一つが、自然の法則に反しているというものだ。人間以外の動物は好き嫌いはあるのかもしれないが、肉を食べることや魚を食べることで「相手の尊い命を犠牲にしている」なんて余計なことは考えない。自分の命を守ること以上の考えが無いからだ。これを野蛮というのはあまりにも無理があるのではないだろうか。 キリスト教でもイスラム教でも肉食を禁じたりはしていない。神が人間を作った時、人間に肉食を禁止したという宗教をお父さんはまだ知らない。これから新興宗教として出てくるのかもしれないが。それぐらい肉を食べることは人間として当たり前のことだと思っている。 野菜だけでもとりあえず生きていけるのかもしれないが、体にとってはおそらく効率が悪いと思う。人間という生物が長い時をかけて作り上げてきた食習慣を個人の意思で覆したところで体が変化してくれるわけではない。 ただし何を食べるかは個人の自由だと思うので、好きにしたらよいと思う。お父さんが恐れているのは、「肉食の否定」を他者に強要し始める動きが出てくることだ。まさかそんなことはないだろうと思っていると、一瞬でやられてしまうかもしれない。 そもそもベジタリアンやビーガンという思想は、先進国や裕福な人が占める割合が猛烈に高い。食べることに困っている人は「野菜しか食べない」とは絶対に言わないのだ。 昔ベトナムでベジタリアンの話をしたことがあるが、当時のベトナム人にはその意味を理解してもらえなかった。市場に行けば目の前で鶏を絞め、豚の頭や内臓が普通に売られているベトナムのほうがよっぽど動物の死を身近に見ているはずなのだが。 お父さんは思う。動物の死を身近で見ないからこそ「自分の為に動物を殺したくない」という思いが出てくるのだと思う。やはり心が弱い人、意味なく想像力が豊かな人が自己満足でやっているのが菜食主義であり、不自然の極みだと思っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.03.30 13:17:49
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