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カテゴリ:エッセイ
お父さんは今47歳だ。社会人経験も、父親としての経験もだいぶ長くなってきたと思う。先日のGWで家の中の断捨離もだいぶ進んで家がすっきりしてきた。とても気持ちがいい。
さて今回のGWはほぼ毎日子供たちに家のことを手伝わせたが、お父さんが会社でも苦労をしている「ずるい報告」というのをお前達にもさんざんやられた。人間とはなかなか理想通りには動けないものだと改めて痛感した。 例えば、初日にはお前たちの各部屋の掃除をやらせた。掃除というより、不要になったものを整理して捨てることを主目的にし、モノの減った部屋を以前よりすっきりと片付けることが目的だと最初に説明はした。一日でできる量ではないぐらい不要物が出てきた事もあり、初日ですべて終了した子供はいなかったが、それにしてもお父さんは精神的に疲弊した。 昼食時などにお前たちに進捗を聞くと、「ほとんど終わった。」とか「あと少し、もう終わる。」という内容ばかりだった。どれぐらいきれいになったか見に行くと、床にものは散乱して、机の上も棚の上もぐちゃぐちゃになっていた。3人すべての部屋がだ。どこがあと少しなのかお父さんには全く分からなかった。 捨てるのに慣れていないこともあると思い、指導しながら手伝ったが、お父さんがいなくなると全く指示したことと違うことを始める。断捨離でも片づけでもなく「モノの移動」を必死でやっている。それでも「進んでいるか?」と聞けば「もうほとんど終わった」と言われる。期待して見に行くとさっきと何が変わったのかお父さんにはさっぱりわからない。息子の部屋など床にものが散乱しすぎて足の踏み場もない。 次女に至っては、「終わった」と言われて「じゃあ見に行く」というと、「やっぱりもう少しやるから待ってくれ」と言われる。確認が入らなければ、適当に終わらすつもりだっただろう。 相手の出方ややり方によって報告を変えることは社会人でもよくやることだ。特に報告相手の上司が確認できないときなどは「ウソの報告」も良くやる。 長男が得意だが、お父さんが確認できないことを報告するときはほとんどがやっていないことも「やった」と報告してくる。子供の浅知恵なのだが、お父さんもこの歳まで生きていると本当かウソかはすぐにわかる。「そうか」と言われてお前たちは安心しているが、お父さんが一々詰問するのが面倒なだけで、「またウソをついているのか。」とげんなりしているだけだ。 大人になればそれが治るかというとそんなことは無い。お父さんは会社でもずるい報告をいっぱい受けている。「ウソの報告」だけがずるい報告ではない。指示を受けた内容と似たことや、人がやっている別の仕事をまとめたような「意味のない資料や報告書」を提出して、ここまでやりましたと言ってくる人も多い。 さらに頭のいい人は、こちらが理解できない内容を、理解できないように書いて報告してくる。上司の一部は「なんかちゃんとやっているみたい」と思って終わりになっているが、お父さんはそういう報告書には厳しく突っ込んでいる。「この報告書でお父さんに何を伝えたいのかわからない。」「この数字をどこから持ってきたのか」などわざときつめに突っ込んでいる。 それでも「ずるい報告」をする人は後を絶たない。まあ正直に言うとお父さんも結構上司にずるい報告をしているが。ただしずるい報告よりも社会人では報告をしない方がさらに悪い評価を受ける。怒られても何をされても報告しない人よりは、報告をする人のほうが信頼されている。 報告をしない人は報告をする人よりも余計な仕事は増えるし怒られるし周り彼見れば評価が下がるように見えるかもしれない。でも上司は報告をしてくる部下のほうを必ず評価している。 ただしずるい報告はともかく、ウソの報告をすれば評価は一気に地に落ちる。そこだけは勘違いしないように。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.05.18 00:10:08
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