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カテゴリ:思い出(社会人・海外)
人間と言うのは、自分が話したいことを途中で遮られると気分を害するものである。別に気にしないという人はあまりいないし、年をとればとるほど、地位が上がれば上がるほど気分を害するレベルが上がるようだ。これはお父さんの体験的主観だが。
さてお父さんの周りにも自分の話をさえぎられるとキレる上司がいる。この人も基本的に自分が常に正しいと思っているので、お父さんも含めた部下は基本的に話を聞くだけだ。しかしながら、話の前提条件が間違っているような場合、その先を聞いても意味がない。仕方がないので、その話は前提が違っていますよと言わざるを得ない。 昔はその上司も、勘違いに対する指摘は受け入れる人だった。しかしながら最近は「最後まで聞け!」「上司の話をさえぎるな!」とすぐにキレる人に成長してしまった。いったい何があったんだろうか。そんなわけで、最近はその上司が勘違いからおかしなことを言っていても、誰も訂正することがなくなった。我々部下にとっては非常に不幸なことだが、上司にとっても不幸だと思っている。 そもそも会社組織と言うのは基本的に縦社会だ。家族ではないのだから、何を言っても大丈夫だろうという甘えも基本的には無い。その状態で部下が「ちょっと待ってください、それは違います」と言うのにどれだけ勇気がいると思っているのだろうか。しょっちゅう話をさえぎる部下なら「黙って聞け」も仕方がない。でもそうでないなら部下の異論は耳を傾けるべきだとお父さんは思っている。部下と言うのは10個上司に言いたいことがあっても、1個言えるか言えないかで悩んでいるものだから。 もしお前たちが将来仕事をしていて、上司になんでも言いたいことが言える環境で働けたらそれはとても素晴らしいことだ。ありがたく思わなくてはならない。 お父さんは田舎の中小企業に勤めているので、昔ながらの縦社会で生きている。だから「黙って聞け」と言われれば、あきらめて黙る。何度か逆らってみたが、その上司が「黙って聞け」モードに入ると無理やり逆らったところで逆上して喚き散らすだけである。どうしてこんな人が上司になれたのかと不思議に思うくらいに。 さて「黙って聞け」と言われた部下は、基本的に黙った後は話の内容を聞いていない。前提が間違っていたり、上司の勘違いから出てくる指示や意見など意味がないからだ。「わかったか、理解できたか」と言われても、黙ってうなずくか、無言を貫くしかない。 しかしながら言い切った上司はとてもすがすがしい顔をしていることが多い。部下の無言も「反論できないほどきっちりと論破して納得させた」と思っているようだ。 お父さんの会社が特殊で運が悪いというわけではない。と言うのはそういう上司はどこの会社にも1人ぐらいはいるのだ。取引先の人などと食事をしていて盛り上がってくるとけっこう愚痴の言い合いになることがある。だからどの会社にもそういう人がいることは間違いない。 まあ「黙って聞け!」と言う人がどの会社にもいるわけではないが、これは本当に不幸なことだと思う。特に上司にとって。上司は実際の状況を勘違いしたままその先も過ごさなければならないし、部下からの信頼はどんどんなくなっていく。極端な話、部下から見放されてしまうのだ。 会社には上司にしかわからない複雑な事情があり、お父さんも部下の意見はもっともだと思いながらも意見を受けいれることも説明することもできないときがある。 でも「黙って聞け」とは絶対に言わないようにしている。特に部下からの意見は自分の主張を止めても聞くようになっている。自分が同じ立場の時に、上司に意見を述べるのがどれほど大変なのかを知っているからだ。そんなに意志のこもった意見を無駄にするのはもったいない。 お父さんの「黙って聞け」上司は、部下からの信頼はほとんどない。だから言い方がおかしいかもしれないが、必要最低限しか部下から接してもらえない。部下が気を利かせて何かをしてくれることもないし、他の上司が普通に知っている情報もその上司は知らないことも多々ある。上司にとって不幸だと思う。以前お父さんは、部下が何も言えなくなるからと何度かいさめたことはあるが、いまだに「黙って聞け」をいい続けている。お父さんも今ではほとんどあきらめている。 お前たちにそういう上司ができないことを祈りつつ、絶対にそんな人間になるなと言っておきたい。お父さんも気をつけて生きていきたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.07.04 00:10:07
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