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カテゴリ:エッセイ
最近お父さんの知り合いの80歳と79歳の中の良かった二人がけんかした。話しにくいので80歳の方をAさん、79歳の方をBさんとしよう。Aさんは長年Bさんが経営する会社でBさんの片腕として活躍してきた。お互いに仕事自体は引退しているが、AさんとBさんは50年以上にわたって友好を保ち続けてきた。
Bさんは若いころから社長としてトップを続けてきたので、引退した後もAさんがBさんに従うという基本的な上下関係はあった。だからBさんがAさんにきつい言葉を言い放つということはお父さんが知っている限りよくあったことだ。喧嘩のきっかけは大したことではないが、いつものようにBさんが手ひどくAさんをののしったため、Aさんが完全にキレてしまった。これまでにも似たような喧嘩はあったが、時間が仲を戻していた。 お父さんはAさんともBさんともこの件に関していかに自分が正しいのかという話を聞いたが、内容としてはこれまでと特に変化はない。お父さんはこの二人がけんかするたびに仲裁まではしないが、お互いの愚痴をよく聞かされる立場にある。そんなわけで今回の喧嘩もしばらくすれば収まるだろうと思っていた。しかしながら今回はそうなりそうにない。 すでに喧嘩して1か月が経とうとしているが、お互いに一歩も引かない状態が続いている。お父さんが見ていて感じるのは、これまではお互いに仕事を通した戦友であり、健康で一緒にいろいろ遊べる同世代の友人として、少しぐらい嫌な思いをしても、結局は仲直りしないとという気持ちが働いていたと思う。 しかしながらお互いに80歳に近くなり、一緒に何かをするという関係が最近は薄れてきていたように思う。更に言うと、AさんもBさんも70歳を過ぎた頃から自分の気持ちを我慢するということができなくなってきていたとお父さんは感じている。 お父さんが勝手に推測すると、お互いに高齢になり相手への依存度が減ってきたことに追加して、お互いに寛恕を抑えることができないくなった2人に起きるべくして起きた喧嘩だったのかもしれない。 お父さんのお母さん(お前たちのおばあちゃん)が先日話をした時に言っていたことを思い出した。おばあちゃんももう75歳を超えている。おばあちゃんが言うには、年をとって上手に生きていこうと思ったらどれだけいろいろなことに我慢ができるかが重要なのだそうだ。 年をとると、感情を抑えるのがやはり難しくなるらしい。ただそれを周りにぶつけても周りが理解して動いてくれるわけでもなく、逆に自分の立場がなくなっていく。世代が違えば考え方も常識も変化していくので、自分の考えが正しいと思ってもおばあちゃんはなるべく我慢して言わないようにしているそうだ。もちろん昔に比べればの話で、全く言わないわけではないことをお父さんもおばあちゃんもわかっている。 ただだんだんと体の自由が利かなくなり、思っていたことがスムーズにいかなくなるとどうしてもイライラすることも多いという。だから余計に我慢を身につけないと高齢になって生きていくのは大変らしい。 今回のAさんとBさんの喧嘩別れも、お互いに相手に対して我慢していたことが、同時に限界を超えたのだろうと思う。我慢をするというのはダムに水をためておくようなものだと思う。若い頃はダムも頑丈で、ある程度水が溜まっても徐々に放水することで健全な状態を保てるが、年をとるにつれてダムの強度が弱くなるうえに、流れ込む水の量も増えていくようだ。一度決壊すればもう修復は不可能だ。 もう一つお父さんが感じるのは、お互いの必要性が高齢になることで低くなってきたのではないかとも思う。無理をして仲よくやっていてもお互いに遊ぶ機会もどんどん減ってくる。お互いになんでもできる調子のいい状態を常に保っているわけでもない。 そうなると、「もう関係を切ってもかまわない」と思ってしまうのかなとも思う。お父さんは当事者ではないけれど、今回の喧嘩は自分が高齢になった時の大きな教訓になると感じた。 お父さんも気が短い方なので、どうなることかわからない。せめてお前たちに迷惑をかけたくないとは思うが、お母さんにはそれなりにかけてしまうかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.08.29 00:10:10
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