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カテゴリ:エッセイ
「理想」を説くことはとても重要なことだと思う。理想がなくては世の中は良くなっていかない。個人の理想はその人本人を成長させる道しるべだと思うし、権力者の理想は大衆を導く大きな力となり得ると思う。
しかしながら「理想」を人に解くことは、きわめて悪質となる場合がありうる。特に現実や事実を無視して理想を押し付ける行為はとても悪質で危険である。表面上の理想を守るために正義や事実を捻じ曲げる必要があるからだ。 ちょっと哲学的すぎるだろうか。 理想を人に押し付ける行為は子供の頃から何度も経験しているはずだ。例えば小学校でクラスメイトが突然いたずらを仕掛けてきたとする。持ち物を取られたり、頭をはたかれたりしたとしよう。それが原因でけんかになる。ここで登場するのが「理想」を掲げる教師だ。 教師はけんかした生徒に「仲良くしなければいけない」「けんか両成敗」と言いながら無理やりにお互いを謝らせて握手をさせる。 悪いのはどう考えても先に手を出した方だ。もし裁判をすればどちらが悪いかきっちりと確定してもらえるだろう。しかしながら小学生ではそうはならない。なので理想を振りまく教師から下される裁定は、「両方同じように悪い」だ。やられた側は納得できるはずもない。 満足するのは最初に手を出した生徒と、それを収めたと思っている教師だけだ。 だいぶ昔になるが、「会社を私物化している」とマスコミに設定された経営者が、マスコミのインタビューで「会社はだれのものなのですか?」と聞かれていた。経営者の答えは「商法上、会社は株主のものです」と当たり前に応えていた。 しかしながらテレビに出演していたコメンテーターや司会者は、この経営者を社員をまるで顧みないひどい人と結論づけていた。 日本人の理想的な考えでは、「会社は社員みんなの共同のモノであり、経営者は社員のことを一番に考えるべき」という夢物語がある。会社もしくは経営者が社員を「大事」にするのは重要なことだと思う。もし被雇用者(社員)が転職の自由もなく一生同じ会社で働かなくてはならないのならば、この意見もありかもしれない。 でも実際は「会社は株主のもの」なのだ。マスコミ特有のいじめでこの経営者は一時的に国民の敵になってしまったが。 「戦争をしたい人はいない、だから戦争は起こらない」「人を信じることは大切、だから疑うのはやめよう」「誤った人は許してあげよう」「世の中は金がすべてではない、お金に執着してはいけない」など日本人なら何度も聞いてきた言葉がある。 この言葉を信じてすべて「理想」通りに生きていこうとしたら、あっという間に人生は詰んでしまうだろう。まともには生きていけない。 逆説的に言えば、理想とする言葉があれば、理想とは反対の現実があるということだ。現実にきちんと対処しなければ理想を実現することはできない。当たり前のことである。 ただし世の中には、この理想を説いて「人を陥れる」ことが得意な人が結構いるものである。その人がどんな行動をとっているかで「本気」か「偽り」かが簡単にわかる。 「本気」で言っている人は、小さいことでもコツコツと実践していく。「偽り」の人は、あなたは間違っていると人を批判するだけで自分から進んで手本を見せるようなことはしない。 ただ今の世の中で理想を語る人のほとんどが「偽り」の人たちだ。この人たちに煽られて人生をおかしくしている人たちが世間には山ほどいる。純粋な人や、自分は頭が良いが不遇だと思っているような人は、この手の偽りの理想を説く人の格好の餌食だ。 お前たちには、人を見抜く目をもってきちんと人生を生きていってほしいと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.12.26 00:10:07
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