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カテゴリ:思い出(社会人・海外)
お父さんは子供の時から大食いだった。物心ついた時から「食べすぎだ」と言われていた気がする。とにかくご飯(お米)が大好きで、夕食では3杯はおかわりして食べるのが当たり前だった。特に子供の頃はおやつなどの制度は我が家にはなかったし、適当に食べることができるものも置いていなかったので夕食時はおなかがペコペコになっているのが当たり前だったことも関係しているのだろう。
当たり前のように間食しているお前たちには得ることのできない感触だろうと思う。以前に子供たちが夕食を残すとこぼしていたお母さんに、間食をさせなければよいのではと提案したが、お母さんは子供時代に常に何か食べるものが置いてある家で育ったので、あっさりと却下された。 さて中学生から高校生にかけて、お父さんが食べる量は一気に増えた。24時間おなかがすいている状態だ。そして今では考えられないことだがどんなに食べても太ることは無かった。 高校生の頃はもっと体重を増やすようにコーチに言われていたが、どんなに頑張って食べても72kgを超えることができなかった。ちょっと油断して食べるのをやめるとすぐに70kg以下まで体重は落ちる状態だった。筋肉量がすごかったので消費カロリーもかなりのものだったと思う。 大学生になっても、食べるものは基本的に大盛だったし、アメリカに留学しているころもアメリカのジャンクフードをかなり食べていた。ハンバーガーなどは1回に3個以上食べるのが当たりだった。ただしこのころは食べると太る様になっていたのだが。 社会人になり食事の量はさすがに減ってきた。また結婚したことをきっかけにお母さんに食べすぎを制限されるようになったことも大きいと思う。それでも食べようと思えば普通の定食を2個食べるぐらいは簡単だった。 お父さんの大食いは周知され、周りの人も当たり前に受け入れてくれるレベルだった。 30代ぐらいまでは太ることを気にしなければ、いくらでも食べることができるというのがお父さんが自分に持っていたイメージである。出されたものはすべて食べるという教育を受けてきたせいで、取引先との食事などでもとにかく食べていた。 ところが45歳を超えたあたりから、食べられる量が極端に減ってきているのに気が付いた。おなかが減っている感覚からすればもっと食べられる気がするのだが、普通の定食の1.5倍ぐらいでおなかが苦しくなって食欲がなくなってしまうのだ。 おなかはパンパンに張ってしまい、ベルトがきつくなる。無理やり食べ続けると吐き気がしてくるようになってしまった。 おそらく内臓の消化能力が落ちたり、胃が小さくなったりといろいろ原因はあると思うが、要は年をとった(老化した)ということなのだろうと思う。 昔お父さんの祖父がお父さんがもりもり食べているのを見て、「食べられるうちが花よ」と言っていたことを思い出してしまう。そのころの祖父は健康ではあったが食事の量はお父さんが見ていて「それだけで本当にたりるのか?」と思うほど少なかった。 今のお父さんは明らかに息子と大食い勝負をしたら負けるぐらい食べられなくなっている。中学1年生に負けるのはちょっと悔しいのだが、どうしようもない。お母さんが息子の食べすぎを懸念しているが、運動部で活動している限り、しばらくは多すぎるぐらい食べても太ることは無いだろう。お父さんの遺伝子が入っているのだから。 残念なのは、食べる量が減っても昔の様に体重が落ちないことだ。以前なら今の量しか食べなければ確実に痩せていったはずなのだが、ずいぶん燃費の良い体になってしまったようだ。お酒が飲めないお父さんは食べることが何より楽しみなのだが、寂しいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.03.27 00:10:09
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