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カテゴリ:思い出(社会人・海外)
先日突然の訃報が届いた。お父さんの会社で創業時から働いていて、引退後も庭師のような仕事をしてくれていた元社員(昨年80歳を超えてさすがに引退した)の奥さんが亡くなったという知らせだった。 お父さんは、亡くなった奥さんとも交流があり、とても面倒見の良いやさしい人だった。子供はいなかったが、家にお邪魔したり偶然街中であったりすると、お互いを思いやっていることがよくわかる仲の良い夫婦という印象だった。
亡くなる1週間ほど前に庭仕事中に倒れているのが見つかって、病院に運んだが意識を取り戻すことなく亡くなったという話だ。訃報を聞いて、元社員の悲しみはいかばかりかと本当に胸がつぶれるような気持になった。
お父さんはまだ50歳前で子育て中なので、お母さんとは共同作業という形で家族を形成している。家には子供がいることが当たり前であり、夫婦というより家族を1つの単位として考え行動している。結婚して約20年になるが、長女が生まれてからは夫婦として何かを考えた記憶がない。
しかしながら元社員の方は、奥さんと2人だけで30年以上を過ごしてきている。奥さんとの夫婦2人がずっと生活の単位としてやってきたはずだ。 お父さんも60歳になれば、一応すべての子供が独立して夫婦2人の暮らしになる予定だが、まだまだ先の話であり経験がない。その生活が一瞬でなくなってしまったのだから、悲しみも落ち込みも動揺も相当なものだと思う。
お父さんとお母さんは特別に仲の良い夫婦という訳ではないが、すでに20年の結婚生活をしているし、恋愛期間も入れれば30年の付き合いである。それが突然崩れてしまったら、しばらくはまともに生きていけない自信がある。病気で長く闘病生活をしている伴侶を持つのも大変だとは思うが、ある日いきなり事故の様に無くなってしまうことの虚無感は想像できない。
よくお母さんとどちらが先に死ぬかで冗談を言い合っているが、お母さんよりは先に死にたいと改めて思った。おそらくお父さんが残されたら、まともな生活を送ることはできなくなるだろうという確信がある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.04.18 00:10:08
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