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カテゴリ:思い出(社会人・海外)
ベトナムに駐在している日本人と話していると、お互いに日本では経験できないベトナムならではの悩みや愚痴を話すことがある。そんな中でよく言われるのだが、「ベトナムは泥棒の国」というものがある。 実際に駐在して仕事をしていると、悪意のあるなしにかかわらずとにかく日本人の感覚では「モノを盗まれる」ためだ。
ベトナムではほしいモノを手に入れる状況になったとき、それが窃盗になるとしても行動するのが当たり前というのが一般的な認識だと思う。盗む人より盗まれる人のほうが「自己防衛」できていないと言って蔑みの対象になる。日本生まれの日本育ちの人には理解できない行動原理だ。
日本人はそれなりの道徳教育を受けているので、もし盗みをしたとしたら大半の人が両親の呵責を感じることだろう。常習化している人にはそんなものないのだろうが、普通の人が盗みをすれば、ばれないとわかっていても、結局は精神的に疲労する。そういう経験を子供の頃から何度かすることで、後味がわるいから悪いことはしない。リスクに対してリターンが少ないということを感じて盗まなくなる。
しかしながらベトナムでは、盗みに関してそこまで負のイメージはない。「自分が盗まれたなら、今度は自分が盗んでしまおう」とか「知人が上手いこと盗んだ、私も同じことをして得をしたい」と思うようなのだ。 もちろんベトナム人全員がそう思っているわけでは無い。日本人のようなマインドを持つベトナム人もそれなりにいると感じるが、社会全体で見た時の良識が日本とはかけ離れている。
例えばベトナムではモノを購入したときのキックバック(賄賂)は当たり前の行為である。なので、購買担当になったということは会社から「キックバックをもらってお金を稼ぐ許可」をもらったと思うのがベトナムで、「会社の為に頑張って安くいいモノを購入しよう」という考えの購入担当に出会ったことは一度ものない。なぜなら購入担当とはキックバックで美味しい思いができる職業というのがベトナムの共通認識だからだ。
経営者が会社のお金を私物化する(横領)ことも、当たり前の事であり、そんなことに両親の呵責を感じるベトナム人はいない。役職が上がるということは、給与や権限以外に「役得」が増えるというのがベトナム人の認識である。 なので日本人から不正を指摘されてペナルティを受けると、「認められた権利」を取り上げられたと感じるので、日本人が期待する反省や心を入れ替えるなどの効果は無く、恨みを買うか、もっと上手にやらなければと手口が巧妙になるだけである。
もちろん、日本人として不正を見逃してはならない。この日本人はチョロいと思われると歯止めがきかなくなるからだ。 こうした攻防を駐在している期間、ずっとベトナム人と繰り返しているので、冒頭に書いたように、日本人同士で集まると「愚痴」になり、「この国は泥棒の国」という話につながる。
お父さんは何度も書いているが、世界的に見て日本が異常であり、ベトナムが標準に近い。国民の多くが日本人の様に良心に基づいて道徳的行動を貫くという国を、お父さんはまだ見たことがない。 ちなみにどの国の日とも「道徳的行動が最も良い」という考えはきちんと持っている。これを持っていない国にもまだ行ったことは無い。理想と現実は違うのだ。勉強をしなくては知識が増えないとわかっていても、当たり前のように勉強できる人ばかりではないし、ダイエット中に我慢できずに食べてしまうというのと同じぐらいの感覚で、ベトナムでは窃盗が行われている。ベトナム人にとっての窃盗はローリスク時々ハイリターンという「やらない方がおかしい」レベルのモノである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.05.18 00:10:11
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