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カテゴリ:エッセイ
道徳という言葉がある。言葉の意味は「道」と「徳」の2つの考えからなり、「道」とは人が従うべきルールのこと、「徳」とはそのルールを守ることができる状態のことらしい。 今回はその中でも「道(人が従うべきルール)」ついて少し書いてみたいと思う
通常日本人が道徳と聞くと、現在の日本の価値観を元に正しいあり方を思い浮かべることだろう。基本的人権、男女平等、礼儀、心の在り方などがそうであるが、「人が従うべきルール」というのは、時代・宗教・思想・国などによって変わるものであり、人類が生まれてから不変のルールではない。意外とこのことを理解している人は少ないと思う。
現在は世界から「治安が良い」、「礼儀正しい」、「ルールを守る」と言われている日本人であるが、平安の昔からそうであったわけでは無い。少なくとも戦国時代までは、弱いモノが強いモノから奪われるのは当たり前の時代があり、明治政府の「四民平等」政策が発表されるまでは、生まれながらに身分に差があるのがその時代のルールであった。
男女平等も同様で、「男尊女卑」という言い方が正しいかは確信がないが、日本は1000年以上男性優位の社会であったことは事実である。現代の女性から見たらひどいと思われるようなことであっても、その時代の「道徳観」で言えば、男性に従順でおとなしく控えめにすることが女性の美徳であった時代は存在するのだ。
不思議なことに現代の日本社会は、過去の事実まで捻じ曲げようとしているように思えるぐらい、そういう情報が少ない。きちんと文献などを調べれば事実を知ることはできるようになっているが、テレビや小説などを見ていると、ずいぶんとおかしなことをやっているなと感じてしまう。
昔お母さんとディズニーの「美女と野獣」を見た時にも思ったが、悪役として描かれているガストンという男は、中世世界においては十分に町の英雄として尊敬されるべき男だと思った。主人公の一人であるベルはガストンの素行の悪さを嫌っているようだったが、彼女だけが現代の価値観で世の中を見ているのを観て、お父さんはとても違和感を覚えた。 お母さんにはいつもの様に「夢のない人」と言われて終わりだったが。
儒教の始祖として現代にまで影響を及ぼしている「孔子」にしても、身分制度を認めている。認めているというより、長幼の序や君臣のあるべき姿を多く語っている。もちろん身分が上の人は「人徳・礼節」などが必要だとも説いているが、孔子が生きた2500年前の価値観で「人としての正しさ」を説いているに過ぎない。
現代社会、特に先進国では自主規制が強くなりすぎているのと、一般大衆からの批判を恐れすぎて、人間の悪い部分や、事実としてあったことを隠す傾向が強すぎると思う。小学生向けの子供番組で無理をする必要はないと思うが、大人向けの番組にタブーを作りすぎることは、最終的に国民の思考力をそぎ落とすことになるとお父さんは思っている。まあそれが目的ならば、上手いことやっていると思うしかないが。
道徳とはその時代の価値観でいくらでも変わるものであるのだから、少なくとも過去を扱う時に、事実を捻じ曲げてまで現代の道徳観を持ち出すことをやめてほしいと思うのはお父さんだけだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.05.19 00:10:09
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