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カテゴリ:思い出(社会人・海外)
最近英語能力の低下が激しい。アメリカから帰国した頃は、ふと耳にする英語もある程度理解していたのに、今は真剣に聞いていても聴き取れなく泣てきている。帰国してすでに20年以上経っているので仕方がないのだが、つくづく語学は勉強ではなくて、ただの言葉なのだと感じる。
先日次女の英語の宿題を見てやった時に、娘に英語の勉強が嫌いと言われたので、英語は勉強でなくて「言語」だから使っていると覚えると言ったのだが、逆に言えば使っていないと忘れるのだ。 さすがに中学生や高校生の英語ぐらいは問題ないレベルでできるのだが、ビジネス英語の能力はすでに風前の灯火となっている。
会社でも英語の文章を読むのに苦労するようになってしまった。1文ごとの意味は分かるのだが、文章全体になると把握できなくなる。要はきちんと理解できていないということだ。 先日も英語の文章を渡されて、「読んで確認したらサインしてください」と言われたが、書類の伝えたいことが理解できずに通訳に頼んでベトナム語の方を訳してもらった。まあそちらもよく意味が分からなかったので、文章として不完全なものだったのかもしれない。
電話になるとこの英語力はさらに激しく低下していることを思い知らされる。特にその国特有の訛りが入るとほぼお手上げだ。何度も聴き返して確認しないと仕事の電話は安心することができない。仕事の電話だと、緊張するのか特に理解ができなくなってきている。旅行英会話ぐらいしか、今安心して使えるレベルにない。
次女も早く完全な翻訳機ができないか待っているらしいが、お父さんも右に同じとなってしまった。これからも英語能力は落ち続けていくのだろう。10年後は文章を読むのも出きなくなっているかもしれない。高性能翻訳機の販売が待たれる。
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最終更新日
2023.06.02 00:10:12
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