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カテゴリ:思い出(社会人・海外)
人生において失敗しない人はいない。お父さんもこれまで数多くの失敗を繰り返してきたし、これからも死ぬまで失敗し続けるだろう。生きていく上で、失敗とは避けて通れないものである。
さて自分が失敗したときに、お父さんはかなり落ち込む。しかしながら状況に応じて、落ち込んでいられない場合というのはたくさんある。失敗した結果に対する対応が急務であるときだ。この場合は、どうして失敗したのかの分析や落ち込んだりする前に、すぐに対応を決めて実行しなければならない。少しでも失敗の影響をする無くするためには迅速な対応が必要なことが多いのだ。
ところが、お父さんの周囲にいる人のほとんどが、自分が失敗したときに嘆いているだけで次の行動ができなかったり、誰かの失敗が自分にも影響するとわかったときに、その人に対して叱責したり文句を言うことに貴重な時間を費やしている。 嘆きたい気持ちもわかるし、誰かの失敗に対してなら怒る気持ちもよくわかる。だが、お父さんからしてみれば、そんなのは後からやっても十分に間に合うことである。
会社で仕事をしていて、失敗した部下を1時間以上怒っている上司を見ることがある。そんなことより上司としてやることがあるだろうにといつも思ってしまう。怒ったところで過去の失敗が無くなるわけでは無い。それよりも対処を迅速にしないと影響が大きくなるとどうして気が付かないのかとても不思議である。
ただ上に「ほとんど」と書いたように、次への切り替えができない人の方が圧倒的に多いとお父さんは感じている。お父さんは失敗が大きいほど、冷静に状況を分析する方に自然と意識が行ってしまうので、自分の事でも部下の事でも、怒るという行動に出ることはほとんどない。怒るのは対応が決まって対処を終えてからである。そのころには部下も十分反省していることが多いので、声を荒げて怒るようなことをする必要もないし、淡々と失敗の原因を分析して指導を行うだけである。
やってしまったことというのは、どんなに努力してもなかったことにはならない。よって再発防止のための「どうして」は必要だが、後悔するだけの「どうして」にあまり意味はない。こういう話をすると、お母さんに「感情が枯れている」というようなことを言われる時があるが、訓練してこういう性格になったのではなく、気がついたらこういう人になっていたので、直しようもない。逆に怒ったり嘆いたりして行動をしなかったり、初動が遅れる人の方がお父さんは心配である。
どちらが正しいというのはわからないが、少なくともお父さんのやり方の方が被害は少なくなるとは思っている。
やってしまったこと、起きてしまったことに対して、怒ったり後悔することは多々ある。お父さんは仕事でも家庭でもやらかしたことを怒るが、頭の中ではどう対処するかを考えている。やらかしたことが大きければ大きいほど、対処を優先するように頭ができている。ところが、世の中には対処よりも責任を追及することに重きを置く人が一定数いる。お父さんとは合わないタイプだ。責任など保留にして対処するべきなのに、あいつが責任をとってやればいいとかいう上司は珍しくない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.06.24 00:10:06
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