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カテゴリ:思い出(社会人・海外)
日本でも世界でもペットボトルという容器は当たり前に使用されている。日本だけにいるとあまり気が付かないのだが、ペットボトルの容器というのは国によってさまざまである。形状や色なども異なるのだが、お父さんが今回言いたいのはペットボトルの質や強度についてである。
日本という国は世界的にみて異常であり異端であるとお父さんはよくブログに書いているし、本気でそう思っているのだが、ペットボトルの容器にもそれがよく表れていると思う。 日本人が日本で生活している状況で、ペットボトルを地面に落とした時に「割れるかも」と思う人はまずいないだろう。ふたをして居なければ、「こぼれる」とは思うだろうが、「割れる」と思ったことないはずである。それともお父さんだけだろうか。
日本のペットボトルは硬さ、弾力、強度、形状など、どれを評価しても一級品であるとお父さんは思っている。無駄に品質が高いともいえる。ただ、日本で製造している限り、これは致し方ないことだ。わざわざ品質の低いペットボトルを作ることが日本では不可能だからだ。お父さんの会社も品質が低くてよいので安くしてほしいという依頼を受けることがあるが、そもそも品質の低い製品を作る技術がない。よって要求品質が低く設定されても、安くすることができないし、品質を落とすことができない。
ペットボトルの話に戻るが、アジアのペットボトルはいいかげんである。昔から日本に比べると薄いものがたくさんある。薄い上に弾力が無いので、地面に落とすと割れる。ペットボトルが割れるという感覚は、海外経験がないとなかなか持ちえないだろう。 お父さんは何度もペットボトルが割れて、中身がこぼれるという経験をしている。
次に形状についてだが、デザイン的な形状などではなく、本来あるべき形状を維持していないものが多数海外では見受けられる。コンビニなどで購入したペットボトルが、変形していてまっすぐ立たないことがある。本当に最悪なモノは、まっすぐ立たないどころか手を離すと倒れてしまうモノもあるぐらいだ。
ただこのように薄いペットボトルにもメリットがある。捨てるときにくしゃくしゃに丸めて小さくすることができるのだ。小さくした後にふたをきちっと閉めると、空気が入ってこないので本当に小さくなったまま捨てられるので、ゴミ箱の容量を圧迫しない。
日本でも自治体によっては、ペットボトルをつぶして収集しやすいようにしているところがあるようだが、日本のペットボトルは少なくとも足で踏みつぶさない限りはつぶれてくれない。 ところが海外のペットボトルは、簡単に手の中でつぶすことができる。ゴミの容積を減らすという意味では日本のペットボトルよりも優れていると感じてしまう。
ただし炭酸飲料のペットボトルは基本的に、日本のペットボトルよりかなり厚い。日本では炭酸飲料とそうでないモノのペットボトルに大きな違いを感じないのだが、海外では分厚くて硬いペットボトルはたいてい炭酸飲料用である。 中の圧力に耐えるには、ある程度厚くしないとだめなのだろうが、もう少し何とかならないかと思ってしまう。飲み終わった後に足で踏みつぶすと、ペットボトルにひびが入ったり、裂けたり、穴が開いたりする。
ちなみにお父さんが最近ベトナムで好んで飲んでいる無糖のウーロン茶は、飲み終わった後にくしゃくしゃに手でつぶせるタイプである。表面に強度や形状を保つ凹凸がないので、手で持っただけで変形してしまう。なので口元辺りまで満たされている状態で、ふたを開けたまま持ち上げると容器が変形して口元からお茶がこぼれてしまう。最初のころはよくこの失敗をした。なので今ではかなりソフトにもつことに慣れてしまっている。
日本とベトナムとどちらが良いとか優れているとかは一概に言えないが、世界基準に近いのはベトナムだと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.07.18 00:10:12
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