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カテゴリ:エッセイ
何度もこのブログで書いているが、お父さんは社員の評価をする立場にある。お父さんの評価が給与や賞与に直結することも多々あるので、どうしても慎重になるし、評価時期だけでなく、普段から社員を観察するクセがどうしてもついてしまう。 今回はそんな中で、もう一歩踏み出せれば評価が上がるという行為について書いてみたいと思う。
学生の頃、優秀な人と言われるのは、基本的にテストで良い点を取ることができる人の事である。餅路のリーダーシップがとか、部活で活躍とかもあるのかもしれないが、成績の良い人が優秀な人と言われるのは間違いないだろう。 テストで良い点を取ればいいのだから、私生活で勉強をしていようがしていまいが関係ないし、普段の生活がだらしなくても、人間性が良くないと思われても優秀な人という地位は守ることができる。
社会人になると、優秀な人と評価されるには、勉強ができるとか知識があるだけでは足りなくなってくる。「結果を出す人」が優秀な人と判断される。しかしながら、常に結果を出し続けるというのはそう簡単なことではない。だからこそ普段の行動が評価の大きな分かれ目になる。
お父さんが見ていて、「残念だな」と思う人に、「気づいているのに行動できない人」というのが結構いる。仕事で問題点が見えていて、「こうすれば解決できる」と気づいているのにも関わらず、発言も行動もしない人だ。 ある程度の立場になると、自分の専門分野においては特にだが、こいつは気づいているなとわかることがよくある。そして気づいているのに行動しないとは不誠実な人だという印象を与える。
社会人生活を続けていて、出世する人と言うのは、「気づいて実行する人」であることが多い。本当にすごい人は、いつも誰よりもレベルの高い問題を解決していくが、そこまで優秀でなくても、自分が気づいたことはすぐに行動に移す人と言うのは評価が高くなる。 逆に、気づいているのに行動しない人は、気づいていない人よりも評価が低くなる。
特に気づいていながら行動せず、あとから「最初から俺は気づいていました」と言う人間は最悪の評価を受ける。本人はおそらく「私は他の人より優秀である」とアピールしているつもりなのだろうが、わかっていてやらないやつと言うのは、上司から見たら最悪の部下である。こういう人は、自己評価と上司評価がものすごく乖離してしまうために、自分の待遇に不満を持ち、偏屈になることが多々ある。その結果、さらに評価が低くなるという悪循環に入っていく。
どんな小さなことでも気がついたら行動できる人は強い。自分の能力を最大限に使っていると言えるからだ。さらにその行動に周りを巻き込むことができる人は、ほぼ間違いなく出世が早い。本人に多層能力不足を感じても、周囲の人の協力で何とかなるだろうと上司に思わせることができるからである。
お父さんは、人間は本来ものぐさな人が多いと思っている。誰かがやってくれるのなら、自分がやる必要はないという人がほとんどだろう。お父さんも同じように感じることは多々あるのでよくわかる。 ただそこで、やらない誰かではなく進んでやる誰かになることが社会人として評価されるには必要なのである。
頭が良くて、理解も早くても、行動につながらない人はダメである。それよりも自分が気づいたこと、理解したことをどんどん行動に移せる人が評価される。子供達には進んで行動することの大切さを教えているつもりだが、今のところ3人の子供はすべて、誰かがやってくれるなら、自分はやらない人である。将来がとても心配ではある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.11.29 00:10:10
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