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カテゴリ:思い出(社会人・海外)
日本語とは、他者との対立を避けるように様々な言い回しが使われる言語である。断定をしないで、遠回しに言うことができないと一人前の大人とは言えないだろう。それができないと良好な人間関係を保つことができなくなる。
しかしながら、最近は婉曲した表現が理解できない人がかなりの割合で増えているとお父さんは感じている。日本語で「ちょっと考えさせてください」とか「それは難しいですね」と言われたら、それは拒絶であるのだが、「考えて結論を出して回答をもらえる」「難しいけれどできないわけではないので実行してくれる」ととらえる人は意外に多い。
本来なら理解してほしいと思うが、字面をとらえるだけならば、理解できない人を責めることはできないかもしれないと、最近思うようになってきた。 そのため、仕事では間違いが起きないようにはっきりと断定するように心掛けている。業務の指示や回答を婉曲的に伝えると、問題が発生する可能性があるためだ。
先日仕事の依頼があった時に、珍しく社長がお断りのメールを入れた。付き合いの長いお客さんだったので、社長自ら丁寧な言葉でお断りをしたのだ。 ところがその顧客から、先日の依頼の回答がないと連絡が来てしまった。時間がないのでWEBで直接話がしたいと要求され、結局WEBでの打ち合わせの結果、今度は社長が「やる」と言わされてしまった。現場としてみれば実に迷惑な話だ。
お父さんの会社の社長は、頭の良い人で、特に文章力に関しては社内で勝てる人はいないだろうと思う。それぐらい社長が作る文章は「日本語」としては丁寧できれいである。 しかしながら、ビジネスでのやり取り、特に交渉関係では社長の作る文章は「何が言いたいかよくわからない」ということになってしまっている。会社の目標なども文章がいろいろと修飾されていて、受け取った社員が戸惑うこともある。
業務の指示や目標は、「明瞭簡潔」が必須である。交渉においてもあいまいな表現は相手に隙を与えかねない。特に拒絶に関しては、はっきりと伝えるべきである。一般的な日本人はこれがものすごく苦手である。 お父さんの会社でも、ベトナムで「あいまいな表現」をすることで社内に意思が伝わらずに問題が発生するということがよくある。
ちなみにお父さんは、わからない時に社長に「こういうことでよいですね」と明瞭簡潔にして確認を取るので、よく社長からも上司からも怒られている。特に怒られるのが、「わざとそこをあいまいな表現にしたのに」となるときだ。 お父さんの性格もあるのだろうが、「よい」「だめ」「やる」「やらない」などははっきりしないと安心して仕事に取り掛かれない。だから、何度怒られても今のところ「はっきりとした回答を求める」ということを止めるつもりはない。
人間関係を円滑にするための言葉の技法が、かえって仕事の円滑化の障害になっていることは多い。どちらが正しいと断言ができないので、今のところお父さんは自分の信じる明瞭簡潔型で行くしかない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.03.23 00:10:10
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