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カテゴリ:思い出(社会人・海外)
我が家の息子は現在高校2年生である。一応地域の進学校と呼ばれる高校にかよっているので卒業後の進路は大学進学希望なのだが、本人に自覚が感じられない。地方の田舎町村に住んでいる人の宿命なのだが、大学というものが住んでいる地域に存在せず、打学生というものに接する機会もほとんどない。大学というモノのイメージがわかないし、大学受験に対して都市部の同学年が必死で勉強しているという雰囲気も感じることができない。
同じ学年の従兄弟が2人いるのだが、一人は東京、一人は地方ではあるが中核都市に住んでいる。彼らと息子を比べるとどうしても意識に差があることは否めない。お父さんの仕事の都合で現在の町に住んでいるので、どうしても責任を感じてしまう。 息子の頭の出来が良くて、普通に学生をしていれば大学に入れるレベルというのなら安心できるのだが、息子の模試の成績を見ると息子の希望大学など夢でしかないのが現状なので、本当につらいものがある。
そんな環境にいる息子ではあるが、高2の夏休みは進学を考えている大学のオープンスクールへなるべく行くようにと学校から指示が出たこと、また同級生がいろいろとオープンスクールの資料を取り寄せているのを聞いて、ようやく重い腰を上げた様である。 だがここからが息子にとっての試練である。まず人に聞かずに自分一人でやろうとするので、ミスが多い。申し込み開始日やオープンスクールの日程、学校の場所やアクセス方法などを調べてまずは日程を決めていかなくてはならないのだが、うまくできない。
日付が重なったり連続したりした場合、アクセス方法の検討や宿泊の要否、さらに言うと定員を確認して抽選になった場合の対応方法などを検討しなければならないのだが、ここまでくると息子のキャパを上回ってしまう。 自転車で行ける範囲までが今の息子の世界なので、それを越える話になると頭がついてこないようだ。
それでも親が息子の名前でオープンスクールを申し込むことができない(連絡先などの関係で)ので息子にやらせているが、自分の住所ですら間違えて入力する始末で何も信用できない。実際に受験することになったら、受験会場までたどり着けるのか心配なレベルだ。 定員があって、先着順という大学なら申し込み開始時間にすぐ申し込みをしないとならないと思うのだが、それすらできずに放置していた。
自主性を重んじろと高2の息子はよく言っているが、自主性を重んじてすべてを任せていたら、気がついたら大学入試が終わり浪人が決まったという状態になりそうで怖い。全力を尽くしての不合格ならあきらめもつくが、手続きミスでの未受験や不合格では本人はもちろんだが、親もやるせないだろう。
息子の言う自主性とは「細かいことをいちいち言うな」というだけにすぎず、親の干渉を嫌がる思春期の自我の発達とは異なる。要はいちいち指摘されると批判されているようで嫌になるというわがままである。 お父さんは手続きで失敗するのも人生経験と思うのだが、お母さんはそうは思えない人だ。必死で息子に尋ねては、息子が何もやっていないことを知り嘆いている。
都市部と田舎町の大学受験に対する格差は、予備校があるとかないとかの以前の問題である。圧倒的に情報も少ないし、雰囲気に関しては永遠に体験することができない。そこへ息子の幼稚な自主性尊重の主張である。お父さんから見たら、ままごとをしているようにしか見えない。息子は本当に現役で大学生になれるのだろうか。
お母さんに言われて、近々息子と飛行機に乗ってある大学のオープンスクールへ行く予定だが、お父さんは往路は一緒に行くが復路は別にした。息子が飛行機の乗り方やホテルのチェックインなどきちんと一人でできるように指導したら、とっとと先に帰ってくる予定だ。すこしここで痛い目にもらいたいとも思っている。息子は痛みを伴わないと成長しないタイプである。友人と日帰り旅行に行く日に、予定通りの時間に起床しなかった息子を起こさなかったことで、息子はその後自分一人で起きてくるようになった。今回の往路一人旅でどれだけ成長できるかが、息子の自主性を尊重できるかの一つのカギになると思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.07.12 00:10:10
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