|
カテゴリ:思い出(社会人・海外)
五十肩を抱えながらの海外出張は、案の定大変であった。出発前から痛み止めや湿布、温熱シートなどの薬関係を準備し、なるべく右肩に負担が無いように荷物などもコンパクトにしたつもりだった。 しかしながら、お土産のお菓子やお酒など含めてスーツケースはかなりの重さになってしまった。これを4日間持ち歩くのだと思うとかなり気が重かった。
空港で荷物を預けるまでは特に問題なく済んだのでほっとしていたが、現地の台湾についてからは大変だった。空港はエレベーターもエスカレーターも完備されているので特に問題はなかったが、電車に乗ってホテルに向かうまででもう困難が待ち受けていた。
空港から台北駅への電車は荷物置き場があるのだが、そこへスーツケースを乗せるのに右手無しではできず、持ち上げてすぐに激痛に耐えることになってしまった。誰かと一緒にいれば、肩を押さえつつ話ができてごまかせるのだが、一人で肩を押さえてもだえている姿を見て、不審に思った乗客は多いことだっただろう。
駅に着いてからも大変だった。階段をスーツケースをもって上がることができないので、本来出たい出口から出ることができない。エスカレーターのある出口から出たのだが、そこから地上を歩くのも大変だった 台北駅周辺は古い町である上に、あちこちで工事をしていた。要はあちこちにスーツケースを持ち上げなくてはいけない段差があるのだ。基本的には左手で頑張ったが、ビジネスバッグを右手に持ち帰るなど、困難も痛みもあった。
ホテルにチェックインして部屋に入った瞬間に、ベッドに倒れ込んでしまった。幸いだったのは、台湾が日本に比べてまだ温かいということだろうか。冷えるよりも汗をかいているぐらいの方が肩の調子が良い。 台湾で合流したベトナム工場から来た同僚と翌日から行動したのだが、お父さんがスーツケースを持ち上げられないことで、回り道をしてもらったりと、とにかく大変だった。
また家にいるときは着替えなどもお母さんに手伝ってもらっていたのだが、出張先ではすべて一人でやらなくてはならない。一番大変なのがTシャツを脱いだり来たりする時で、どうしても痛み無しとはいかなかった。湿布も左手で右肩の後ろには上手に貼ることができないし本当に苦労した。
そして3日目の朝に悲劇が起きた。朝食会場への階段を降りていたのだが、肩にばかり気を取られていて階段の途中で躓いてしまったのだ。転ばないように体全体でバランスを取ったのだが、右肩にかつてないほどの激痛がはしった。あまりの痛さに声も出ず、呼吸もできない状態で、階段の下まで小走りで降りた後、しゃがみこんで激痛と格闘していた。通りかかる人たちが不審そうにお父さんを見ていたが、人目を気にしていられる状態ではなかった。もだえていたのは3分もなかったと思うがそこから右手に力が入らなくなってしまった。
その日も2件ほど取引先を回ったのだが、肩の痛みで半分は相手の話していることが頭に入ってこなかった。食事も右手に力が入らないので箸をうまく使うことができずに苦労した。 幸いなことに、右隣に座っていた通訳の女性が、大皿からの料理をお父さんの皿に取ってくれたので、かろうじて食事は出来た。台湾人の通訳さんが、自分も五十肩になったことがあると言っていて、つらさはわかるからといろいろしてくれたことに本当に感謝でいっぱいだった。
とにかく会談で躓いて激痛がはしってから、常に痛みは持続していたし、2日ほどは夜ぐっすり眠ることができない状態だった。寝返りなどで肩に激痛がはしり、目が覚めてしまうのだ。痛すぎてすぐに寝ることができないので、わざわざ部屋を出て、エレベーターに乗り、ホテルの外に出て夜中にタバコを吸ったりして痛みを紛らわしていた。
日本に戻り、空港からの車の運転も左手一本で9割がたこなした。とにかく右腕に負担をかけたくない一心であった。 帰国した日は何とか眠れたのだが、翌日の夜はやはり痛みで何度も目が覚めた。ベトナムの長期出張まであと2週間ほどしかない。このままの状態でベトナムに行ったらどうなってしまうのか、非常に不安である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.10.04 00:10:12
コメント(0) | コメントを書く
[思い出(社会人・海外)] カテゴリの最新記事
|