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カテゴリ:思い出(社会人・海外)
「あこがれるのはやめましょう」という言葉は、大谷翔平選手がWBCの決勝戦であるアメリカ戦を前にチームメンバーにかけた言葉である。対戦相手にはたくさんの憧れている選手がいるが、今日はその選手がいるチームに勝つために試合をする。だから憧れるのあやめ勝つと決めて戦おうという言葉だ。実に人間の心理を突いた言葉だとお父さんは思っている。
人間は夢を持たないと意欲がわかないというのがお父さんの信念である。夢というと少し大げさであるが、達成可能と思われる目標に向かうとき、人は一番力が出るのではないだろうか。そしてその先に憧れがある。憧れは「達成不可能」「同じことはできない」と思っている目標や存在である。
憧れを持つのは悪いことではないが、憧れは行動の動機としては弱い。WBCの日本チームは結果としてアメリカ戦に勝利し、WBCで優勝したが「あこがれるのをやめたから勝った」というわけではない。選手たちが「アメリカチームに勝つことは不可能ではない、いや十分勝てる力を持っている」と思っていたからこその勝利だと思う。
お父さんにも子供のころから憧れはたくさんあった。小さい頃は虫が大好きだったので、虫の研究で一生を過ごしたファーブルみたいになりたいと思った。ではファーブルのような昆虫学者になるための努力をしたかといえば、全くしていない。大学の選択でお父さんは工学部を選んだ。生き物は好きだったが生物の研究をして裕福にはなれないと思っていたからである。
高校生のころには、裕福になることは人生の第一課題であったと思う。その時にも憧れの人物は存在した。松下幸之助や稲森和夫など技術で会社を興して成功した人たちである。技術者になろうと考えていたお父さんには憧れの存在であった。 では松下幸之助やパナソニック創業、稲森和夫や京セラ創業と同等のことをするために何か努力したかといえば、全く何もやっていない。漠然とすごしていた。
大学生になると海外の大富豪にも憧れた。ビルゲイツやスティーブジョブスなどコンピューターの世界で大富豪になった人たちである。コンピューター、特にソフト開発はお金がなくても頭脳一つで何とかなると思い、アイデア次第でビルゲイツになれるかもとこれまでの憧れよりは少し身近な気持ちだったかもしれない。 そしてお父さんは全く彼らに近づく努力はせずに大学生活も終えて社会人になった。その時にはもう、憧れた人は遠い存在であり、少しでも高い給料をもらえる会社を選ぶことに必死だった。
先日会社で受けたセミナーでお父さんの人生は自分が見ても周囲から見ても幸せな部類に入るということが分かった。それなりに裕福な家に生まれ、頭脳も運動も上の下ぐらいの能力を持ち、あまり人生で苦労をしたことがない。苦労しても苦労しても恵まれない人が世の中にたくさんいる中で、お父さんは十分に幸せなのだろうと自分でも思っている。今の給料にしても日本人の上位30%ぐらいには入っているのではないだろうか。
お父さんは目先の達成可能と思われることに対しては努力をしてきた。入試を含めたテスト勉強、部活で勝利するための努力、会社での仕事もできるだろうと思ったことはおおよそ達成してきたので、今の状態があると思っている。全く努力をせずに生きているわけではない。ただ憧れた人、憧れた状態になるための努力は全くしてこなかった。それに対しても今の状況はその結果を如実に表していると思う。
憧れは誰もが持っているものだろうが、憧れに向けて努力する人はほとんどいないだろう。お父さんは50歳を過ぎて、人生を切り替えて憧れを現実にすることができるのだろうか。今の生活を続ける限り、絶対にありえないと断言できるのが悲しい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.11.06 00:10:10
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