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カハマルカで行われたペルー全国観光ガイド会議に行ってきた。
カハマルカと聞いて頭をかすめたのが、クントゥルワシ遺跡。東京大学ペルー・アンデス調査団の発掘で一躍有名になった遺跡。 はるか7年前に訪れたことがある。ペルーをバックパック旅行していたころ読んでいたのが、調査団団長の大貫良夫氏著のコレ・・。 アンデスの黄金 アンデス最古の黄金品が発見されたことでペルーや日本で話題になったクントゥルワシ遺跡の発掘の記録と発掘されたものを展示する博物館を寒村に作っていく過程が描かれている。 大貫氏は発掘されたものを日本に持って行き、展示会を全国で行うことによって博物館の建設・運営資金を募っていく。 村からの発掘品の県外持ち出しに関して県や市当局との葛藤などもあったようだ。 ペルーに住み始める前、ペルーを理解する前の私はただ村民との交流に感動しただけであった・・。 あれから7年。今年に入り、カハマルカでの会議が近づき、同僚から「カハマルカの会議に行くの?」と訊かれた時にあのクントゥルワシ遺跡の記録、「アンデスの黄金」を思い出した。 2000年10月のカハマルカ。 クントゥルワシ遺跡に行こうにも、安い混載ツアーなんてなかなかでない・・ そこで紹介されたのがカハマルカ大学の観光学科の学生たちの研修小旅行。 早朝5時30分の出発にホテルにカメラを置き忘れたのを忘れている。 当時クントゥルワシではまだ発掘が行われていた。 学生たちに 「ロス・カルカスがLlorando se fue(泣きながら)を日本語で歌っているんだけど教えくれない?」 と頼まれ、歌ってやったことがある。うろ覚えでところどころ勝手に作詞したけど・・。 リマでMuseo de la Nacion(国民博物館)でガイドからどこそこの発掘はイタリアが行い、コトシュ遺跡は日本が行い・・なんていう説明をうけたことがあり、これに関して遺跡に居合わせた若手の日本人考古学者に 「他国の人がたくさん研究していますが、ペルーの考古学者はいったい何をやっているんですか?」 なんて馬鹿な質問をしたこともある。 しかし彼は苦笑しながら 「考古学の研究にはたいへんなお金がかかるんです」 とやさしく答えてくれたものだ・・。 当時の私は無知で無垢なイノセントなバックパッカーであった。 ペルーに住み始め、専門学校で学んでいたころ、外国人嫌いの考古学の先生がクントゥルワシ遺跡に関して 「(ペルー考古学の父)フリオ・C・テーヨが発掘したことがあって、なにかがあるのがわかっている遺跡に日本人が入り込んで、成果を掠め取っていったのだ!」 とのたまったのに対し、博物館建築の功績をたたえない無理解ぶりに内心立腹したのも覚えている(言い返すことはできなかった)。 振り返ってみると・・ この中央集権社会で発掘されたものを田舎の村に残そうというのがいかに困難であったか・・。階級社会でもあるペルーで正直教育レベルの低い村人たちに博物館運営を任せることが思い切ったことであり、村おこしに向けての考えなんて、いかにも日本人的なものだということにも気づいてきた・・。 盗掘者の多い国。また教会などでも祭壇の表面を覆う銀の打ち出し板が少しずつ剥されているうちにまったくなくなってしまったり、釘隠し程度の金や銀まで剥してしまうセコイ泥棒の話などを知っていくと、寒村に金製品をはじめ、土器などあらゆる考古学品を保管すると言うのがいかに思い切った(ある意味で危険を伴う)ものであることに気づくにいたった。 ガイド全国会議の日程にはクントゥルワシ遺跡に関する講演の予定も入っている。 ペルーを理解しだした今、再びクントゥルワシへ・・。その思いを胸に、全国会議に出席するのを理由に会社に休みをもらって・・。 リマートゥルヒージョ- チクラヨ-カハマルカと10日間の各駅停車の旅に出発することになった。 (ぼちぼち続く予定・・) これも携えてバックパッカー旅行をしていたな・・。 アンデスの考古学 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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