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2011年11月09日
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カテゴリ:實戦刀譚

  日本刀は折れない

  世の刀剣家の十人が十人まで「こうした刀はこれこれだから必ず折れる。」
 と、半ば断定的に云ったり書いたりしている。
 俗にいう昭和刀と呼ばれる刀などは、
 折れるために作られたかのようにさえ云っている。
  かの『刀剣実用論』を書いた水心子正秀さえもが、
 やれ河内守国助が敷居に刀の背を打ちつけただけで折れたとか、
 井上國貞と越後守包貞とを棟と棟とで叩き合わせただけで、けもなく折れたとか、
 その他さまざまな実例を挙げている。
  こうした事を聞いたり読んだりしていると、何も知らない人々には
 「刀というものの大部分は相当に折れるもの」という意識が生じて来て、
 それが更に“日本刀は油断のならぬもの”という危惧となり、
 刀に絶対的な信頼が置けなくなってくる。
  はたしてしかるかどうか。
  自分は弾丸雨下の第一線において、幾多の血刀を手がけたのであるが、
 「刀というものは新古現代を問わず容易に折損せぬものである。」という確信を得た。
 これらの事は詳細な統計として軍に報告し、各部隊の戦況と軍刀破損の状態等も
 統計に現したのであるが、それらは今のところ全部を発表する自由を有しない。
 この二千振近い破損刀の中に、戦って折れたものは一振もなく、
 また派遣出張三十二部隊の中で、さいわいにも戦って折れた事を
 一回も耳にしなかった事は、日本刀本来の面目のためにまことに
 欣快(きんかい)な事であった。
 日本刀の折損は上海方面に一二あったと聞いたが、
 全支の皇軍中にもそう多くはなかった事と思われる。
 ただし、酔っぱらった勢いで鉄や石を試切りしたり、
 いきなり立木に切りつけて折ったりしたものは、二三見たり聞いたりした。
  内地出発の際には、折損も相当にあるだろうとの見越から、
 万一の場合には磨上げの出来るようにと、
 小型グラインダーや穿孔具(せんこうぐ)やらを用意して行ったのであるが、
 切っ先を若干欠けたのをそれで修理したのみであった。
  折れのなかったかわりに刃こぼれは相当にあった。
 切っ先の五分ほど欠けたのは大場部隊某軍曹所持の新刀無銘物で、
 その箇所の焼きが特に深かったので、磨って刃をつけても
 なおかつ一分ほどの焼きが残っていた。
  切っ先が折れても更に刃のつけられるように、
 特にこの部分の焼きを深くしたものがあるとはかねて聞いていたが、
 実際にあたってみて、こうした事も経験から来たものだろうとさとった。
  焼き詰めの細い刃も刃こぼれや切先の折れを防ぐ為だと聞いたが、
 それも事実で、切っ先五分位が急角度も曲がって刃の助かったのも見た。
 これらも経験から来たものであろう。
  最大の刃こぼれは、前野部隊某少尉のこれも無銘新刀で、
 切っ先より六寸二分のところ、こぼれた幅は八分五厘、
 深さ一分六厘の弧形をなし、かなり錵(にえ)の荒い焼き幅二分五厘ほどの
 直刃(すぐは)で、物打(ものうち)あたりの焼き幅は三分五厘ほどあった。
 少尉はこの刀で乱戦して敵を十数人斬り、
 最後の一人を突切りにした時できた疵だといっていた。
 これは、欠け口に従って弧形の急な片刃をつけて
 一時の戦いに間に合うだけの修理をした。
  焼き巾の広い華やかな、そして焼き刃の硬い刀、
 これは昔からいわれているごとく戦陣には禁物と思われる。
 ただし前にも述べた通り、刃こぼれが出来ても、応急に凹んだままで
 刃をつける事は容易だが、戦闘中に勿論そんな事は出来ない。
 焼き巾三分以上もある荒錵の新刀新々刀には、大きな刃こぼれがつきものであった。
 物打ちあたりに、豆粒大の刃こぼれが二つか三つも出来れば、
 誰でもその刀に不安を感じてくる。大きな刃こぼれは戦う者にとっては最も禁物で、
 敵中深く入った場合には、かなり士気を沮喪(そそう)する。
  細直刃(ほそすぐは)中直刃(なかすぐは)、その他一たいに焼き巾がせまく、
 そのうえ匂(におい)出来のもの、世間でよくいう焼きの甘そうな刀、
 ねむそうだといわれる刀には刃こぼれは少なく、しかもよく切れるものがある。
  そうした点では古刀は断然よい。新刀でも肥前刀あたりには、
 その規格があてはまったものがある。
  次の実例は、やや極端かも知れぬが、開封入城の二三日後、
 今村部隊の菰原という上等兵(この人は大分警察署の署員で剣道家)が、
 出征の時同地武徳会の剣道教士古賀先生から餞別として日本刀一振を贈られた。
 その刀が刃まくれしたから見てくれとの事であった。
 古賀先生は自分も面識があり、武用刀の研究者であり愛刀家であるが、
 その刀は所謂ねむい刀で、火が入ったのではないかとさえ思われるものであったが、
 これで相当敵を斬り切れ味がよかったと話した。
 事実柄折れのするくらい戦い抜いたもので、刃も曲がり二三ケ所
 刃まくれを来していた。
 試みに鑢(やすり)をかけて見ると、多少受けつけるほどであった。
  いかにも武術家の選んだらしい刀として、
 他の荒錵のボロボロこぼれた刀と比較して考えさせられた事であった。
 こうしたところに日本刀の強靭さの根拠があるのではないだろうかという事は、
 昔源頼朝が、激戦中にその刀がササラのようになり所々刃まくれしたので、
 自ら小刀でその部分を削って再び戦った事が
 『平治物語』に出ている事と思い合わせられるからである。
 同じ日に、横山部隊の鴨志田という曹長が、兼門の銘のある、
 これもごく刃の柔軟な刀で、ある激戦に十四人を斬ったが、
 刀がわずか左へ曲がっただけで他に故障がなかったのも、
 首をひねった事のひとつであった。
  こうした実例は沢山あった。
  よく戦えた刀、そして刀身に損傷が少なかった刀、
 それは例外なく古刀であるか、しからずんばしなッとした軟らかい感じで
 弾力のある新刀であった事、これらの刀には刃こぼれが少なく、
 出来ても極めて小さかった事等は、
 自分の経験の範囲内における犯しがたい事実であった。
  こうした事から用鉄の種類、焼き入れの火加減水加減、焼き戻しの度合、
 全体の硬度、と軍用刀との関係が色々と考えさせられた。
 「折れず曲がらず、これを名刀という」
 これも刀剣家十人が十人口をそろえていう言葉である。
 が、こうした刀がはたして実在するかどうか、自分の乏しい実験を要約すれば、
 「折れぬ刀は曲がる」という点に帰着する。
 その程度はあるかもしれぬが、日本刀は必ず曲がる。
 曲がればこそ折れぬのである。
 この程度については、水心子の『実用論』にも
 「刀は強くて折るるよりも曲がる位が宜しく候」とある。
 もし曲がらぬ刀があるとすれば、それはやがて折れる刀でなければならぬ。
 折れず曲がらずなどという畢竟(ひっきょう)理想論であって、
 そんな刀はありえない。
 ただくなくなと飴細工のように曲られては困る。
 要するに程度の問題である。






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Last updated  2012年04月26日 22時24分47秒



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