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2014年01月10日
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テーマ:臨戦刀術(92)
カテゴリ:臨戦刀術
 
 熟か術か

 オランダ兵は、伝統的に射撃が巧妙である。
先年ある海軍将校から聴いた話だが、かつて我が軍艦が
今日では皇軍の占領するところとなっているジャワ島の某港に寄港して、
両三日(※二、三日の意)交歓〔こうかん〕した折の事、
一日彼我〔ひが〕将兵の武技を互いに見せ合った。
 何せ、全世界にサーベルの名で通っている軍刀の語源が
オランダ語であるくらいだから、
その軍刀術にもかれ独得の伝統形式があって、
華やかさ巧妙さに至っては、我が剣術の比ではなかった。
さらに射撃技術においては、その技神に入るといってもあえて過言ではなく、
海軍軍人であるためか、小銃射撃などは、到底かれの敵ではなかった。
ことに驚かされたのは、その拳銃射撃の絶妙さで、
右手に拳銃を、左手にビールの空き壜〔びん〕を持って現れ、
その空き壜を空中高く投げ上げるよと思う間もなく、
右手の拳銃でそれを射撃すると、
狙いたがわずビール壜は空中で微塵に碎けて四散するという壮快さ。
出る者も出る者も、それを試みて失敗した者とて一人もなかった。
 最後の秘芸は、__さすがにこれは一人だけであったが、
左手に銅貨を一個もって高く投げ上げ、
拳銃でものの見事に銅貨の中央を射抜いた将校で、
我が将兵はただあっけにとられてこれに見惚れた。
 しかるにである。昭和十七年一月十一日、
セレベス島メナドに我が海の荒鷲の落下傘部隊が、
越えて二月十四日、同じくスマトラ島パレンバンに
陸の荒鷲の落下傘部隊が降下するや、
かれらは果たしてその巧妙なる射撃術を発揮し得たであろうか。
否々、来る弾丸も来る弾丸もことごとくその狙いをはずれ、
全軍一人の負傷兵すら出さずに、悠々とその目的を達したのではなかったか。
皇軍落下傘部隊がパレンバンに降下した時、
守備のオランダ兵は千人近くいた。
ここの飛行場警備隊長はフィッサァという歩兵中尉で、
空から降下する皇軍に対して一斉射撃を命じたが、
反対に皇軍が落下しながら投げる手榴弾にやられて参ったと語っている。
かれは四百名の兵と共にあっさり捕虜になった一人だが、
日本の将校が落下傘をつけたままで木の梢〔こずえ〕から
手榴弾を投げているのに対抗して、
お得意の拳銃を打ったけれども一つもあたらず、
そのうち木から下りて来た件の将校の日本刀を一太刀あびて、
くらくらっとなったところを捕らえられたのだと白状している。
 ちょっと考えると不思議に思えるが、それはさもあるべき事である。
その理由を説明する前に、私はさらにもう一つの事実を指摘して置きたい。
 
 
 支那〔シナ〕では、我が國の武術に匹敵すべきものがあって、
これを國術といい、それに秀でた者を称して國術師と呼んでいる。
 國術にも、我が國のごとく、刀・槍・薙刀・その他の各術があって、
いわゆる武芸十八般の本家本元だけにいかにも盛んなものであり、
それが軍隊的に編成されていたにもかかわらず、
我が軍の白兵突撃に会っては一たまりもなく潰滅〔かいめつ〕してしまった。
 ことに、小林派〔しょうりんは〕の國術師に至っては、
我が古武術の分銅・鎖鎌・手裏剣に似たものまで使用、
その手裏剣は鏢〔ひょう〕と呼び、
熟達百発百中の妙技を発揮し得てひとつも過〔あやま〕たない。
ひとたび敵に対するや「三不過〔さんぶか〕必殺の秘術」と称し、
たとえ二本目までは失敗しても、三本目には必ず殪〔たお〕す。
すなわち三つの過誤は絶対にないと信じたほどのもので、
猛毒が塗られてあるがために、
ほんのかすり傷程度のものでも、たちまち全身に毒が廻って、
マムシに噛まれたよりもその結果は恐ろしいのである。
 しかのみならず また音なしの拳銃で、
敵中深くしのび込んで打っても、巧みに身を隠して動作するかぎり、
容易に発見される恨〔おそれ〕がないだけに、
まことに手におえない存在であるとされていた。
 しかるに、中支北支の境界一帯の、この國術師の多い地域の戦闘において、
いわゆる「三不過の術」にかかった者は我れに一人もない。
それのみか、昭和十三年の秋中支派遣後藤部隊の前田軍曹(名は勇)は、
そうした本家本元の地にあって、ある日
松木熊(※原文ママ、松樹山 Songshushan か)というところで、
敵状視察中に、一人の敵の歩哨を見つけるなり、
神速果敢にも出征のとき持参して行った手裏剣で討ち取り、
無事任務を果たして『手裏剣軍曹』の名を挙げた事は、
その勇姿と共に当時の諸新聞にも報道されたところであるが、
この軍曹の手裏剣術は、まったくの余技であって、
いわゆる技神に入ったものではなかった。


前記の事実から、我らは何を学ぶべきか。
ちょっと皮肉な話だが、
明〔みん〕の末から清〔しん〕のはじめにかけての
支那の博学者方以智の著『物理小識』の中に、

 列子云、蘭子弄七剣。迭而躍之。
 五剣常在空中。朱君驚異之。此熟耳。非術也。
 
 蘭子という曲芸師が、七つの剣の使いわけをした。
ちょうど我が國の太神楽でする撥〔ばち〕の使いわけのように、
かわるがわる高く投げてこれを入れ違わせるので、
五剣は常に空中にあるというきわどい離れわざであるが、
朱君これを観覧して驚いて異とした。
がしかし、これはただ単なる熟練であって術ではない。
という意味である。







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Last updated  2014年02月24日 03時00分02秒



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