66573416 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

FINLANDIA

FINLANDIA

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Calendar

Category

Keyword Search

▼キーワード検索

Archives

2024年06月
2024年05月
2024年04月
2024年03月
2024年02月
2024年01月
2023年12月
2023年11月
2023年10月
2023年09月

Freepage List

2017年06月16日
XML
テーマ:戦ふ日本刀(97)
カテゴリ:戦ふ日本刀
 
 開封入城
 
 翌日は早起きした。
農家の主人がにこにこして、庭の掃除をしている。
支那人がホウキを持っているのさえ珍しい事だ。
そんな事をいっていると、誰かが、「村からして掃街だぞ。」という。なるほどなるほど。
自分は昨日みなで食った南京豆の代金として、五十銭を主人に渡したがとらない。
そこへ主計さんが来て、宿料一人頭七銭の割で若干の金を渡した。
主人公は目をパチクリさせて、一向に解せないという顔を、通訳が来て大きく頷かせた。
 街々の人々は、開闢〔かいびゃく〕以来の珍客から、宿銭までもらったせいか、
総動員で我々の進発を見送る。
時に午前九時だ。街を出ぬけ土塀を越え、豆と黍畑の間を進む。
我々の自動車は各隊と別れて、別の道をたった三台で進む。
心細い事で、しかも、その中の一台が一町行っては故障を起こし
二町行っては止まるという有様で、歩いた方が早そうにさえ思えた。
 ある部落についた。杏の木の多い五、六十戸の村だ。
人気もよさそうなので、我々はここで昼食をとる事にした。
昼食は豊富である。イワシの罐詰が一人一個ずつ。コンペイトウ一袋ずつ。
これが今朝出がけに渡ったのだ。
村民は総出で接待に来た。大きなヤカンに湯をいっぱい入れて来る。
せんべいの出来そこないのようなものを持ってきて、毒見をしては我々にも食えという。
大へんな歓待だ。子供がウヨウヨ集ってくる。
 我々は残飯と、罐詰の大部分を彼らにやった。
差し引きの利得はもちろん彼らにあった。
こうした彼らの歓待は、それが心中いかようであろうとも、我々には無性に嬉しかった。
結局、今朝もらったコンペイトウの大部分も、
群がり集まってきた村童の手に帰したのだった。
 道ばたからちょっと這入ったところには、めずらしくお寺があった。
道から土塀のついた山門のようなものをくぐって這入ると、屋根の低い本堂があって、
真っ黒な仏様が幾体も棚の上にころがっており、
亜中央には阿彌陀仏が手を合わせてござる。これも真っ黒である。
そこには、どこからか避難してきているらしい男女の老人と、児童が四、五人ごろごろしている。
隅っこに恐ろしく大きな板様のものが斜めに立てかけてあって、
なにか朱色や緑青〔ろくしょう〕の文字が彫ってあるので、
めずらしく思いながら行って起こして見ると、
その陰から「フアフア」といって飛び出したものがある。黒い布で顔をかくしている。
自分は思わず佩刀に手をかけた。
一人の老婆が横から自分の手にしがみつく。刀を抜かせまいとするのだ。
しまった、と瞬間そう思ったとたんに、また一人黒い覆面の者が飛び出した。
二人とも、声を立てて、しかし小さい声で泣き出した。
女だ、若い女だ。
自分は老人たちに、安心しろ、女どもをもとのところへ戻せと、手まねで示した。
うなずいた老人たちは、なにか二人の女にささやいた。
泣き声ははたとやんで、またもとの板の陰へかくれる。
自分が寺を出る時、手を合わせていたのは、仏様ばかりではなかった。
 すぐ自動車は出発した。
 林間に池のある部落へつく。
土粕溝という村で、ここから開封城までは南へわずかに一里、
今夜はここに泊まるのだという。
もう戦争は始まっているらしく、ドカンドカンと音がしてくる。
今日の宿舎は、中門のある外見だけは立派な家だ。
すぐ夜になった。今夜は石井少佐と同室で、寝室は相対している。
 庭に出てみると、薄明るい空に繋留気球が黒く高く上がっている。
砲声は殷々〔いんいん〕として聞こえてくる。
部長から夕食にせいという使いが来たので、行ってみると、かなりな御機嫌で
「もう開封は落ちたも同然だから、前祝いだ、今夜の酒は腐ってはおらんぞ」
という。
酒の肴はめずらしい事に、ニンニクをらっきょう漬けにしたようなものだ。
牛肉の罐詰も出る。
部長の酒の肴の話は、今宵はおそろしく専門的なのである。
大要はこうだ。
 先日分捕った敵の戦車は◯◯製であるが、
外側の製法が、日本刀と同じく、剛軟組み合わせの鉄板である。
日本刀は折れないように工夫されたものであるのだが、これは弾丸の透らないためなのだ。
陣中で実弾試験をしてみて驚いた、というのである。
 室に戻ったのは八時半ごろで、
折から吹き出した南風に乗ってくるらしいただならぬどよめきの気配に、
ハッと思って緊張する。
それに交じって、砲声銃声がはげしく聞こえてくる。
ちょうどその時刻に、北門から遠山部隊、
東門から横山部隊が突入したのであった事は後で知られた。
 十時ごろに、
『只今開封城は陥落せり。』
 という報告が来た。部長はすぐ出て行った。
「案外脆かったね」。
「いや、相当犠牲も出ているよ。」
「北門はすごかったそうだね。」
「それだよ。あの突撃ぶりではただ事ではなかったらしいぞ。」
 こんな会話の声だけが、外から聞こえてきた。
 すると一人の兵隊がバタバタやって来た。
「一番乗りは海野隊だそうであります。」
 こんな声がする。ハッと飛び起きた。
海野隊といえば、あの道口鎮以来懇意になって、共に追及して来た海野部隊長が隊長であろう。
自分は、やにわに部長の室に飛び込んだ。
部長は見えなかったが、もう冷えている酒の半分ほど残った水筒と牛罐とが
先刻のままそこの机の上に置かれてあった。
「部長殿いただきます。」
自分はそれを取って汲々と湯呑につぎ、一人で祝盃をあげた。
部長の当番兵が覗きに来てこの有様を見、「もっとつけますか。」といった。
自分は居直った。「では折角だから半分たのみます。」
 その夜は上陸以来の酩酊をして、ぐっすり寝てしまった。
 
 翌朝目が覚めたのは、八時。
起きて飯を食うか食わぬに、出発入城だという。
大慌てに準備して、今日はトラックの助手台に乗った。
病曹長も大分元気になって、ひとりでどんどん歩いている。
部長は馬上で出発だ。自分の顔をみるといった。
「昨夜どさくさまぎれに酒泥棒が這入ってのう。ワッハッハ。」
 自動車は、砂まじりの黄土の畑の間を廻りくねって行った。
畑のはるか南に、高い古塔が見える。そこが開封だという。
 ある部落には昨夜の戦争の◯◯本部があった。
負傷兵が、前方から担架でまたは馬車で、続々と運ばれてくる。
 自分らの自動車は、ある林の中に来た。
ここは砲兵陣地で、警備兵二、三名と共に大砲は置いたままで、
二間四方位の四角な穴の中に、兵隊がつかれきって眠っている。
 ここを過ぎると、遠く城壁が見えてきた。
近づくにしたがって、城壁と同じ高さの砂丘が、外輪山のごとくつらなっている。
道の外側に、鉄兜をかぶった敵の正規兵が一人、真っ赤に焼けただれて死んでいるのが目につく。
やがて北門に到着したのである。
 自動車は、なだらかな砂丘の上で一旦とまった。
下車してみると、直径二尺五寸ぐらいの穴があっちこっちにあいている。
ここは敵の地雷火の爆発した跡で、我が兵がだいぶんやられたという。
機関銃の薬莢が落ちている。砲弾の破片が飛び散っている。惨憺たるものだ。
そこの砂丘を下りて門の入り口のちょっと手前で下車した。
警備している兵、アンペラを敷いて眠っている兵、
城門城壁のあちこちには、砲弾で欠け落ちた跡が赤黒い。
 イタリー人が三人、宣教師であろう、黒い長いガウン様のものを着用、
日伊両國旗をもって歓迎に来ている。
我々に対して無茶苦茶に握手する。
 北門の外、右側に大きな穀倉がある。
その垣根を破って、城内から殺到した老若男女が盛んに穀物を盗んでいる。
皇軍が来て間もないその中へ這入ってきて、
しかもその直前で図々しく盗みを働く支那人の赤裸々の姿。
中には纏足〔てんそく〕した弱々しい女の身で、何かの叺〔かます〕をかついでゆく。
そこへ城内に行った石井少佐が帰ってきてこの有り様を眺め、
「断乎禁止してしまえ」
 という命令を下したので、兵隊はそれをさえぎり止めようとしたが、
欲にかけては目のない國民だ、兵隊を押しのけ押しのけなおも這入ろうとする。
ついに一人は牛蒡剣を抜いて、
「畜生ッ、やめないかッ。」
と叫んだ。これで、さすがに寄ってくる者がなかったが、
今度は、道々に落ちている穀物の粒を拾いはじめた。
私欲、盗みの権化、そうした方面では実に根強い恐ろしい民族である。
 城門前にはだんだん自動車が集まってきた。みな揃ってしづじづと入城した。
こころよい風が吹いて、草木がなびいている。
城門に入ると、両側の道路には市民が出て、あやしげなにわかづくりの日の丸の旗を振っている。
 左側には、遠くから見えたあの古塔が、天高くそそり立って、
折からの微風に、各階の屋根の大風鈴の、
カラロンカラロンと心地よく鳴るのが、かすかに聞こえてくる。
 我々の心は踊った。市街の中央と覚しきあたりを左折すると、
その辺は、両側に歩道のあるコンクリート道路、
左に警察公署、右にキリスト教会堂のあるところで、自動車は停まった。
 教会堂の屋根には、大きな米國旗が高く翻っている。
その門前に、でっぷり肥った五十ぐらいの米國婦人が一人、使用人らしい二人の支那人と、
日本の國旗ももたずに素手で立っている。
いかにも傲岸不遜の態度であるのがいささか癪〔しゃく〕にさわった。
 門の内はなんとなくざわめいていた。
よくみると、米國旗にたよって、あまたの若い姑娘が、ここの奥に避難してきているのだ。
 そうこうしているうちに再び出発した。
太平洋飯店という大きな料理店で、湯だけもらって昼食をした。
道路の東西に通じた大道、
時計台のある大きな門の通りの旅舎に兵器部は一旦落ちつく事となった。
皇軍は北から東から陸続〔りくぞく〕と這入ってきて、
コンクリート造りの近代的大都心の各所に分宿する。
 自分の室は、十畳敷きぐらいの、広い通路に面した一室で、
寝台に横になるなりもう動けなかった。
気のゆるみと疲れのためである。そうした状態が次の日まで続いた。
兵隊もそうであるらしい。
すぐ前の開封一という大きな風呂屋へ行った。
一階は兵、二階は下士官、三階は将校以上、三階の入浴料は物価の安い支那の貨幣で三十銭だ。
苦力なら一日の賃金である。
 翌日は、半町ほど西へ寄った金臺旅館へ宿がえである。今度は獣医部と同居だ。
当所一流のホテルで、自分の室は特等室、紫檀のような帳台式の寝室、
大きな姿見鏡のついた洋服ダンス、高さ三尺もありそうな日本製九谷焼の大花瓶、
厚いガラス板の置いてあるテーブル、安楽椅子、客用椅子数個、
広さは約八坪で、従者用の諸道具まで置いてある。それに、強い光の電燈もつく。
大道に面して、鉄製の手すりのついたバルコニーもある。
ついこの頃までは、肥料小屋のようなところに住み、
ロウソクか種油のカンテラかで暮らしてきた乞食が、一夜にしてこうした大名生活となったのだ。
 間口のわりに奥行きの深い、室の多い旅館で、
兵隊はそれぞれの一室を割り当てられ、
寄せ集めの小道具やら、くたくたになった祖国からの絵葉書やらを飾りたてている。
例の黒澤特務一等兵は、ひとり階段の上り口の一室を占領して、
立派なテーブルに倚〔よ〕り何かすてきもない考案でもめぐらしているらしく、
奥の超特務室は石井部長で、部屋づきのオルガンが一台置いてある。
さっそく部長指揮の下に、岡島少佐が愛國行進曲を奏でている。
どこもここも朗らかな、湧き上がるような気分だ。
入城気分とでもいうべきものであろう。
 軍刀修理工場開設命令が出たのは、七日の夕方であった。
今度は、ほとんど全部の隊がここに集っているので、相当の忙しさを見込んで、
遠山部隊の山浦木工伍長ほか一名を、助手としてつけてもらった。
 修理室は、この豪勢な室の一隅に設けた。
 昼食後、修理刀のトラックが来た。
三人の兵隊が、柄の折れたの、鞘ごと曲がったの、種々雑多な破損軍刀を、
この一室の予備寝台の上に積み上げた。
さらにもう一台来るらしい口吻〔こうふん〕であった。
どしどし来てくれ。これからが自分の本領だ。
兵隊はここで一休養だというのに、
反対に自分は今日から大多忙の熱閙〔ねっとう〕を味わうのである。
でも、なんとなく愉快でたまらなかった。
自分は、夕食の来る間を、バルコニーに出て、愛國行進曲やら露営の歌やらを口笛で歌った。

( 終 )







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2017年09月30日 00時58分18秒



© Rakuten Group, Inc.