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カテゴリ:企業・ビジネス
【やりたい仕事がその人の使命】
人には職業への憧れを大なり小なり持っています。 子供の頃、「パイロットになりたい」「ケーキのお店を持ちたい」 など、様々です。 しかし、この憧れにもその時代にあった職種、職業があるのです。 今の時代は、衣食住に困るということはほとんどありません。 ただ、60~70年前までは厳しい時代でした。 安藤百福(あんどうももふく)さんは、1910年生まれ。 幼少期に両親と死別し、祖父母のもとで育てられました。 その後、努力して事業を起こし、信用金庫の理事長にまでなりますが、 倒産してすべての財産を失ってしまいます。 戦後、焼け野原となり食べるものがなく、餓死する人の姿を目に していた安藤さんはこの時、 「人間にとって一番大切なのは食だ。食がなければ衣も住も成り 立たない」と痛切に感じたのでした。 唯一、残された借家で安藤さんはインスタントラーメンの開発を 始めます。日本の食文化である麺類をもっと普及させるべきだと 考えていたからでした。 失敗続きの研究を始めて1年が過ぎようとしていた頃、ある日 夫人が天ぷらを揚げているのを見て、麺を油で揚げて乾燥させる 方法を発明したのです。 そして1958年「チキンラーメン」が誕生し、時を経て1971年 「カップヌードル」が日本で発売されました。 「食の安定」こそが、生活の基本と捉えこれを自分がやるべき仕事 であるという考えがあったからこそ挑戦したのです。 銀行マンが食品事業の創業者となることは、あまり例がないことで すが、使命感があったから成し遂げられた仕事でした。 ●安藤百福さんの名言 〇事業を始める時、金儲けしようという気持ちはなかった。 何か世の中を明るくする仕事はないかとそればかり考えて いた。会社は良い仕事をしたから儲かるのである。 儲けとは答えであって、儲け主義とは違う。 樹齢二千年という立派なブナの木があるが、もとをただせば 鳥のフンからだ。創業とは一粒の種をまくことである。 〇私は事業に失敗して財産を失い、48歳から再出発した。 60、70歳からでも新たな挑戦はある。人生に遅すぎるという ことはない。 私の人生は波乱の連続だった。成功の喜びに浸る間もなく、 何度も失意の底に突き落とされた。 しかし、苦しい時の経験がいざというときに常識を超える力を 発揮させてくれた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年03月20日 09時10分41秒
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