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カテゴリ:メンタルヘルス
【無理せずに生きよう】
★人は無の心境を求めたがるが、結局はできないものだ。 しかし、過去にとらわれず、こだわらず、 ただ、目の前にあることを受け入れ、流し出していけば、 悩みは自然に、どこかへ飛んでしまうものだ。 <今、人はもっぱら無念を求めて、 しかもついに無なるべからず ただ、これ前念とどまらず、後念迎えず ただ、現在の隨縁をもって、打発し得ざれば 自然に漸々無に入らん> 〔出典:菜根譚〕 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ◎境野勝悟氏の言葉から― 人によって、時によって、それぞれだけれど、ほとんどの場合、悩みの トップは、愛情の問題だ。 男と女の愛情の問題、両親と子供の愛情の問題、社会生活の中で起きる 愛情の問題。 愛されるべき人から、冷たくあつかわれる。「さあ、どうしよう」。 ことによると、愛情よりも、「経済」の問題にからむ悩みが強い人もいる。 なんとか、お金をもっと手にしたいが、なかなかうまくいかない。 「さあ、どうしよう」。 ちょっと年が寄ると、愛情よりも、経済よりも、「健康」の悩みが強く なる。 血圧が高い。血糖値が思わしくない。「さあ、どうしよう」。 ただ現在の隨縁をもって打発す 「隨縁」の縁とは、目には見えない間接的な力の働きをいう。 つまりこの力は、自分が「そうしよう」とか「そうしたくない」とか 思っても、関係なくある結果を出してしまう大きな自然の力だ。 その縁の力に「隋って」(したがって)、「どうしよう、どうしよう」と あせらないで、あんまり頑張らず、無理せず生きていれば、自然に 悩みは「打発す」と。 打発とは、処理できる、始末できる、どこかへ飛んでしまう、という ことを意味する。 (参考文献:境野勝悟著「超訳・菜根譚」三笠書房) ________________________________________ *縁というのは、人智を超えている。 最近の若者に、「運命」という言葉を使うと抵抗感があるようだが 「縁」という表現に変えると、受け入れてもらえる。 この意味では、何かの縁で誰かと知り合い、職に就くことになり 出会いという縁で、結婚に結びつくこともある。 しかし、縁もある意味、運命ともいえることもある。 自分の力では、どうすることもできないことでも、一度受け入れて いくことが、随う(したがう)ことになり、そこから道も開けて くるものだ。 受け入れながら、無理せず、疲れたら休む。 この繰り返しが人生をつくっていく。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年11月20日 07時00分09秒
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