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カテゴリ:生き方
【暗い人生を明るい人生に変えるもの】
尼僧の堂長を務めておられる青山俊薫師のお話のなかに大変、心が動かされる エピソードがありますので、ご紹介します。 青山師が京都駅からタクシーに乗ったとき、運転手さんが語りかけてきたそう です。 「ご出家さんですね。お話をさせていただいてもよろしゅうございますか? 私は、高校3年生のときに両親を亡くしました。 町内会でフグを食べに行き、その毒にあたって一晩でなくなりました。 いつもなら母親がお弁当を作ってくれるのですが、いつまでたっても音が しないので、おかしいなと思って両親の部屋に行きました。 二人とも、息が絶えていました。 親戚の者が駆けつけてくれ葬式は出してくれました。 借金はありませんでしたが、貯金もありませんでした。 私の下に5歳の妹がいました。 父が出征しておりましたから、年が離れて妹ができたわけです。 高校3年の私と5歳の妹では、家賃が払えないだろうと家主から追い出され ました。 私は妹を連れ、最小限の荷物を持ち、安い六畳一間を借りました。 両親に代わって妹を育てなければと思って、夢中に働きました。 朝は新聞配達、昼は勤め、夜はアルバイトと働いて23歳のときには安い アパートを買うほどのお金を作りました。 その間、私は働くことしか考えていませんでしたから、洗濯も炊事も掃除も できませんでした。5歳の妹がしてくれました。 妹には勉強机の一つも買ってやりたかったのですが、狭い部屋に食卓と勉強 机は置けず、食卓を勉強机にしてもらいました。 狭い家で育ったので、妹は整理の名人になり、今は大きな家にご縁をいただ いておりますが、きれいに整頓されています。 考えてみましたら私なんか、もし両親が元気でいてくれたら、ろくな人間に しかなっていなかったと思います。両親がお金を残してくれていたなら今の 私はなく、また妹がいなかったら淋しくてグレていたでしょう。 両親はいない、お金はない、幼い妹がいる。 私は本気にならざるを得ませんでした。 妹がよいご縁をいただいて花嫁衣裳を着たときは泣けました。 両親にみせたかった」 青山師は、この運転手さんの話を聞き、お釈迦様の言葉を思い出したそう です。 『闇から闇へ行く人、闇から光へ行く人、 光から闇へ行く人、光から光へ行く人」 という言葉です。 その意味では、この運転手さんは、「闇から光へ行く人」でした。 『闇と思える境遇でも、考えしだいで光りに変えることができる』 これも、お釈迦様の教えの一つです。 闇から光に行く人は、恵まれない境遇にいてもそれを人のせいにすることは ありません。 むしろ、その境遇から生きていく力をもらっていこうとします。 どんな境遇、環境にいても、光のほうに向かうことを考えましょう。 (by ハートリンクス) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年10月05日 07時00分06秒
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