|
カテゴリ:メンタルヘルス
【自分を憐れむより、今を楽しむ】
「人生は、選択の連続である」という言葉があります。 シャツを買うとき、白系統の色のものを買おうと思って店に行ったら、他の 色のシャツに目に止まり、どっちにしようかと迷います。 両方を買う予算はなく、どちらかを選ばなければなりません。 人生では、これと同じようなことを何度も経験します。 場合によっては、自分にとり重い選択をしなければならないときもあります。 その選択が、正しい判断だったら何か自信のようなものを感じ、それが経験値 を高めることになります。 ところが、逆のパターンならどうでしょうか。 選択したことが、間違っていた、失敗の原因になってしまったら、そこには 後悔の念が残ります。 この後悔の仕方は、人それぞれです。 「いい経験ができてよかった」と思う人もいれば、「やっぱり、違う選択をして おけばよかった」、あるいは「もし、違う判断をしていたら・・・」などと悩む 人もいます。 これが、よく言われる『たら・れば』の話です。 「あのとき、~~していたら、こんなことにはならなかった」 「あの日、~~しなければ、うまくいったのに」 このような考えを、いつも頭の中でぐるぐる思い続ける人がたまにいます。 そのように考えたところで、現実は変わらないこともわかっているのですが、 心の中ではあきらめきれないのです。 これは、自分を憐れんでいる気持ちの強さを表わしています。 自分を憐れむ心理、「自己憐憫の情」は、誰もが感じるものですが、多くは 一時的なもの一過性のもので終わるものです。 ところが、何かのとき、ふとしたときに『たら・れば』の話を自分の心で再生 する人がいます。 この意識の奥に横たわるのが、被害者意識というものです。 誰かのせい、何かのせいで自分が大きな損失を受けた、という明確な現実から 生じるのが、本当の被害者意識です。 しかし、『たら・れば』の話を自分で勝手に再生して、クヨクヨするのも自分 なのです。 再生する自分が加害者であり、再生してクヨクヨする自身は被害者なのです。 つまり、自分が加害者と被害者の両方を演じているというわけです。 『たら・れば』の話を思い起こしている間は、一種のエネルルギーが生まれて います。 少なくとも、元気になるエネルギーではありません。 そのエネルギーは、もっと違うものに、自分が少しでも気分がよくなり前に進 むために使う、これが大事なことです。 もし、『たら・れば』の話のスイッチが入ったら、未来を楽しく生きていくため に、今何をすればいいかを考えることが必要です。 そうすると、今やっていることが楽しいものに思えてきます。 それでも、そう思えないときは「あれは、あれでよかった」と過去を肯定して しまいましょう。 過去を肯定すると、自己肯定につながっていきます。 自分を肯定すれば、生きることにも肯定的になれるものです。 (by ハートリンクス) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年08月08日 07時00分09秒
コメント(0) | コメントを書く
[メンタルヘルス] カテゴリの最新記事
|