森田理論学習のすすめ

2023/05/13(土)06:42

初期の生活の発見誌の発行について

森田関連図書(24)

生活の発見誌は1957年(昭和32年)10月に産声をあげている。 水谷啓二先生が始められたものである。 最初は季刊誌だった。昭和35年10月号から隔月となった。 昭和36年10月号から月刊誌となった。 そのときに我々の先輩の山中和己氏が編集発行人として奮闘されている。 その後一度も休刊することなく、昭和43年7月号を持って100号を迎えた。 (ちなみにその後も60年以上にわたり継続されている) 100号を記念して、昭和43年11月10日新宿の太平会館で記念式典が行われている。270名の参加者があった。そうそうたる顔ぶれです。 最後に水谷啓二先生の音頭で「生活の発見誌、森田療法、森田生活道、森田神経質の人々、更に全世界人類の繁栄と幸福」を祈って、万歳三唱をした。 これは大変意味のある言葉と思います。 世界人類の繁栄と幸福は森田理論の学習と実践にあると言われている。 それだけの内容を森田理論は持っているということでしょう。 その時の横断幕に「大調和と大独創の世界」「事実唯真 智悲円満」とある。 「大調和と大独創の世界」という言葉は、生活の発見誌1968年12月号、1969年1月号、1970年5月号の副題となっている。 森田理論の考え方は、調和、事実唯真、独創、智悲円満にまとめられるということかも知れない。 両面観の考え方見方でバランス・調和を心がる。 観念を前面に押し出すやり方を、事実を優先するするやり方に改める。 生の欲望の発揮に邁進する。 他人、自分、自然、物、時間、お金に居場所と活躍の場を与えて、持てる力を存分に発揮してもらう。 智悲円満は、森田の考え方と相手を思いやる心が車の両輪となって動き出すと、社会が丸く収まっていくということだと思います。 水谷啓二先生は1970年2月号の生活の発見誌によると「中和生活研究会」(仮称)構想を発表されていた。 森田療法の本質を貫く人間教育を、神経症治療の場からさらにひろい舞台に展開しようとするものであった。 危機に瀕している現代の人間の回復を目指すものであった。 (生活の発見誌 1970年5月号 2ページ) 水谷先生は、神経症治療としての森田療法の活用のほかに、森田理論を活用して人間の再教育を目指しておられたようです。 共同通信社での仕事をこなしながら、啓心会診療所、啓心寮の運営、寮生指導、地方支部の結成援助、講演旅行、生活の発見誌の編集発行、森田関連図書の執筆など活動は多岐にわたっていました。 私たちもその後継者として、後世に先生の意志を伝えていきたいものです。

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