新しい生活
「塞翁失马焉知非福」人間の禍福は変転し定まりないものだというたとえ。人間万事塞翁が馬。〔淮南子人間訓から。昔,塞翁の馬が隣国に逃げてしまったが,名馬を連れて帰ってきた。老人の子がその馬に乗っていて落馬し足を折ったが,おかげで隣国との戦乱の際に兵役をまぬがれて無事であったという話から〕物事の見方は一方面からだけ見てはいけないと私はこの”故事”から学んだ。人は何か悲しいことがあると途方に暮れ、「何故私/僕だけこんな目に…。」と悲劇を嘆く。けれどその先を見てみれば、その経験から学んだことを活かして同じ失敗をしない工夫ができる。昨年知人が不治の病に侵されてしまった。死に至らずとも生活の彩りが消えるような病気だった。私はその人の支えになることは叶わなかった。悔いが残る瞬間はたくさんあった。気を遣いすぎなければ多少の不安は消えたかもしれないだとか、もっと病気の治療薬開発が進んでいることを証明する記事を探したりだとか、そういう工夫や知恵を絞ることができたかもしれない。けれども、至らずじまい。その人は私が生涯で一番好きだった人だった。人の心を労わることができ、プレゼントをよく贈るようなまっすぐな人柄だった。彼はその後自分の体調と向き合い、自炊を極めている。体の中に新しく存在したいじめっこと向き合い、新しいスキルを身に付けた。健康的な食生活の末、結果私より長生きする可能性すら高い。そうやってどんなことも何に転じるかわからないと教えてくれた。どんな出来事も無駄にならないと就職活動になやむいとこに伝えたい。地獄も時にスキルを生む。