他力本願! 合格祈願は進路エスカレーターに乗る事か
一流という進路エスカレーターが存在する。このエスカレーターに皆が殺到するために、これを入試というあまり意味のない客観的なフイルター(数値評価できる馬鹿馬鹿しい判定材料で)で漉す。 権威のある狭き門かどうか? 需要と供給のミスマッチか?わからないが。 市場競争の原理が働かない世界ですから。 他方で、藁(わら)にもすがる思いで学問の神様に合格祈願の絵馬を奉納する。 神社にとっては春一番の収益になる。進路エスカレーターは虚構であっても、本来一世代限りの政界、宗教界、芸術界などでも2代目、3代目が活躍している、一度レールが敷かれると本人の適性や信条より、財力・資産・家柄・地盤・看板などの外聞が確立され、一人歩きして、その外聞を維持継承するため2代目、3代目を擁立してしまう。 参入の機会は均等にあるとしても、財力・権力もない第三者が参入することは非常に難しい。 下克上が成り立つ社会的状況(貧富の極端な格差・失うものが無いほどの貧困・強力な外敵など)はない。 同様なことが進路問題にもある皆が同じような価値観を持っているだけに進路エスカレーターは混雑し選考や順番待ちが出来てしまう。 一流高校、一流大学、一流企業・一流官公庁は目に見えない鎖で繋がっている。 一流とは何か? 生涯を托せるか? 一流の中の掃き溜め・尻馬に乗ってリストラ、運良く、天下り? 食い逃げが出来ない社会環境も出来つつある現在、一流願望は怪しくなる。 むしろ一筋の道を究め、他の追従や代替を許さない成果を挙げ、社会に貢献することが一流者への憧れとなり、名誉になる価値観への転換が必要ですね。 オンリーワンの時代が進路のあり方に大きな影響を与えて行くと思う。「教育再生会議」 ハイブリッド検索より