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何気ない出来事 ひとりごと

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2009年02月24日
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カテゴリ:家族のイベント

ぽっ私が18歳の時、父とお別れ・・・今日は父の命日です月お化け

 

 昨日は「おくりびと」がアカデミー賞を受賞して、

日本映画の2冠が話題になっていますが・・・

 

おりしも今日は、私の父の命日です。

昨日母に「お参りにいけないけど、かわりに拝んでおいてね」と

電話しました。

 

いつも写真で登場する「アルプスの見える村」が私の故郷です。

アルプスとりんごの花 

 

父は働き者で背が高く(175センチくらいあった)

なかなかのいい男(と私は思っている)で、

入院しているときに、学校の保健の先生とばったり会い、

あとで「お父さんって藤田まこと似の素敵な方ね」

言われたこともありましたっけ(●^o^●)

(そのせいか、テレビで藤田まことを見ると、懐かしい気がして…)

 

私は父が大好きで、お父さんっ子だったと思います。

母は夫婦の立場で、「怒りっぽい・ケチ」と 

 いろいろ言っていましたが、

娘の私には本当に優しくて、「働き者」で、「賢く、知恵があり」

「もくもくと仕事をする」 頼りがいのある父でした。

 

小さい頃、父が会社員になる前、よく畑で一緒に仕事をし、

草取りに行くと”草のかたずけ”ばかりさせる母と比べて

”並んで草をかき、同じ仕事をして比べあう”父との仕事は

楽しいものでした。

 

その後に働いた「黒部ダム」の工事で大きなけがをした父は

その時の輸血が原因らしいことは後でわかったことです。

30代後半で肝炎を発症し、(お酒は飲めない父でした)

父は私が中学生のころから

肝臓を患い、入退院を繰り返していました。

退院するたび、働き者の父はまた働きすぎ、

また入院するという繰り返しだったような気がします。

 

休みの日にバスに乗って父のいる病院に行くのも私の担当で、 

父が大好きだった私は、

朝早いバスに乗っていくため眠くて、高校生になっても

よく父のベッドの中で隣で

寝ているのを、「まあ~~~、この娘は・・・」びっくりと、

看護婦さんにびっくりされたものです。

 

「千の風になって」が流れた時に、私は

「そうなんだよ、私が生きている間は父は死んでいないんだよ」ってよく思いました。

「大好きなおばあちゃん」も私や娘や息子が覚えている限りは

おばあちゃんも生きている・・・

と感じていました。

だから父には「会えなくなっただけ」と、思って生きてきました。

 

いつも守っていてくれると感じたのは、20歳の時

かぜで薬を飲み、具合が悪いのに、松本から実家に帰る途中、

居眠りで車がひっくり返り(当然車は廃車)

天井がペタンコになる事故を起こしてもなお、

膝のかずり傷だけで何ともなかった時、

「父は私のそばにいて助けてくれた」と思いました。 

 

今日は命日・・・・

父と過ごした18歳から同じ時間が過ぎて・・・

そして、何年・・・・

私は父よりもおばさんになってしまったかも・・・

 

父を思い出して、娘や息子(孫)のことも空から見ていると思い、

そして反抗ばかりしていた母への感謝といたわりを

心から思いながら・・・

父の命日を過ごします。

 

改めて思うことは、その後苦労した母への思いと、

生きてるうちにしてあげたかったこと、

その分まで母にと思うばかりです。

 

センチな話を聞いてくださりありがとう(*^_^*)

 

そして、1年で一番忙しいモードに入った私は

しばらくブログも書けなくなるかも知れません。

 

皆さんのブログはお邪魔しますが

カキコなかなかできないかも(--〆)

<m(__)m>

 

 

 

 

 

 






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最終更新日  2009年02月24日 09時21分07秒
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