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その日、綾一郎は教室掃除の当番だったので、早速とんづらしてしまおうと荷物をまとめていたところ、自分の右足が何かを踏んでいることに気がついた。
見ると、それは和紙の切れっぱしだった。 これを捨てたら一応掃除したことになるかも、などといいかげんなことを思いついた綾一郎は、裸足の足でそれを器用に拾いあげた。 紙にはなにか書いてあるらしかったが、彼は他人の手紙を読む趣味はなかったので、そのままゴミにしてしまおうと、その手に握りこんだ。 そして、掃除当番の要員たちにさとられないように帰り支度を終えた綾一郎は、いかにしてこの場を抜け出すかという対策に熱中してしまい、手にした紙きれはそれからしばらく彼の脳裏から忘れられた。 ─── 掃除当番とんづら計画は、まったく綾一郎の首尾ようだった。 身も心も浮き足立っていた帰り道、彼はだがその手だけ緊張が解けないのに気がついた。 そこではじめて、手に握りしめたままでいた紙切れを思い出したのだ。 今ここで道ばたに捨てるか、それとも律儀に家まで持って帰るか、そのちょっとの思案は、無意識に紙にいった彼の視線を捉えて、それに気づかせるに充分な時間だった。 紙には、何か、書いてあった。 いや、もうそれは先刻承知のことだ。ところが、それは本当の意味での‘何か’だった。 ──・・・・・・? 綾一郎はたいそう驚いて、その紙をつまみあげて自分の目の高さにまで持っていき、しげしげと時間をかけて眺めた。 何度見ても同じだった。 紙には字は書かれていなかった。絵も描かれていなかった。 しかし、確かに何か書いてある。 記号、と形容すればよいのか──なんともはや不可思議な文様が、律儀な様子で四角に切り揃えられた小さな紙面の上に、整然と並んでいたのである。しかも黒々とした墨書きの筆跡で。 綾一郎はすぐさまそこらの道ばたに座り込み、初代あばれはっちゃくのごとく‘ひらめき’があるまで、今ここで本腰を入れて頭を回転させることにした。 綾一郎はその大きな目をさらにまんまるにして、今いちど紙片を見込んだ。 」ПЭБэ ∠Ψι∝ζΘф 」Плзб ¬∂Бэ¬∂η σδιη¬∂Э それは、ぜんぶで三十一文字。 よく見ると同じ記号が何回となく使われていたりもする。 綾一郎は思った。 これは何か意味のある羅列だ。 そしてこうも思いを巡らせた。 ──誰ぞ、暗号でも考えて作戦でも練ってるのやろか。 作戦──それは他集落への攻撃の作戦を意味する。 そして、どこかで秘密裏に出来上がった作戦は、田中綾一郎という新大将の様子見をしているがために、いまだに他の集落から戦がしかけられていない相生がこうむるに決まっている。 いよいよ打って出てきたか。そこまで考えて、綾一郎はこのところ忘れていた自らの大将という立場というものをはたと思い出し、さっと緊張した。 暗号まで考えているのならば、これは意外と手ごわいことになりそうだ。 まずは暗号の出所と、極秘計画の内容、進み具合を調べなければ。 本日の日記--------------------------------------------------------- 【屋号について】 本文に出てくる登場人物は、みな屋号を持っています。 屋号とは、端的にいえば家の称号のことです。 本日は、この屋号について少し説明させていただきます。 「屋号」とは一般的には‘伊勢屋’や‘成田屋’のたぐいの商家や俳優などの家称を指しますが、相生村においても、その者がどこの家系に属すのかを示す呼び名のことを指しています。 「屋号」の多くはその家を特徴づける生業や外観から付けられたもので、たとえば、三年生編の大将日野西武人は、「あぶらやのいしきな」と呼ばれています。同じように、不二豊も三年生編の第十一章で他の集落の子供たちから「さわのゆた」と呼ばれています。 相生村には同姓世帯が多く、田中家、中村家、山根家など、同じ名字の一家がたくさんいます。名字だけでは、どこの家の人なのか区別がつかないため、名字ではなく屋号と組み合わせて呼んでいるのです。 屋号には、「あぶらや」「すみや(米倉家)」などの生業(なりわい)を示すものと、「さわ」などの住んでいる家の特徴を示したものなどがあります。「さわ」は不二一族のうち、本家に属す者の屋号です。本家が一族の住まいのうち最も奥にあり、それが沢に接していたからこの名が付きました。一族の人々は、ほかに「門」(かど)、「炊」(かしき)などの屋号をそれぞれ持ち、家の所属を明確にしていました。 このほかに、その者を特徴づける性質などを屋号のようにして呼ぶこともあります。ちょうど綾一郎がこれに当たり、赤銅色の髪を持つ彼は、「月毛(つきげ)のすせりな」と呼ばれていました。 そこで、小夜の山口家といえば、横浜からやって来た者という意味をこめて、「みなとまち」という屋号で呼ばれていました。他の集落の人は、「みなとまち」と聞いて「境港」から来た者だと思っていた人もいたようです。 最近はとんと聞かれなくなった屋号ですが、一見しただけでその人を‘特徴づけられる’、あるいは‘端的にあらわしている’ものを屋号と定義するならば、もしかしたらブログのHNなどが現代のそれに当たるのかもしれません。 皆さまの素敵な屋号を見て、「ああ、この人はきっとこういう感じの方なんだろうな・・・」などと想像してみるのが、私の楽しみだったりもするのです。 明日は●綾一郎、小夜をつかまえる●です。 ナイショのことですが・・・当時からこの大将はけっこう人気がありました(笑)。小夜にしても、なにかで集まっている際に、子供たちのなかに彼の雄弁な瞳がないと、なんだか落ち着かない気持ちになったことをここに白状するべきでしょう。 タイムスリップして、この相生の少年らしい大将が小夜に何を見い出したのか、教室の扉に寄って眺めにきなんせ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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