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山口小夜の不思議遊戯

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2011年03月26日
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                   こだまでしょうか? 
                   はい、こだまですv
          

 【虫の知らせ】
 
 まずはじめに──
 この度の東日本大震災で被災された方々に
 心からのお見舞いを申し上げます。

 また、前回の日記のコメント欄では皆様から多くの思いやり、
 被災地へのメッセージをいただき、本当にありがとうございました。

 オットの話によると、あの良寛さんも、晩年に大地震に見舞われたそうです。その地震によって子供を失った友人に、良寛さんは短い手紙を送っています。
 
 地震は信に大変に候。
 野僧草庵は何事もなく、親るい中、死人もなく、めで度存候。
 うちつけにしなばしなずてながらへてかゝるうきめを見るがはびしさ。
 しかし災難に逢、時節には災難に逢がよく候。
 死ぬ時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候。かしこ


 「地震は本当に大変なことでした。
 我が草庵は何事もなく、親類にも死者なく、さいわいでした。
 地震で死なずに永らえて、このような惨事を見るのはつらいことです。
 しかし何事にも時節があり、災難に逢う時は逢うがよろしい。
 死ぬときには死ぬがよろしい。
 これが災難から逃れられる妙法であるといえましょう」

 良寛さんは禅師だったため、このような境地を友人への手紙にしたためることができたのでしょう。今、実際に震災で家屋を失くされた方、家族を亡くされた方に、妙法だと言って良寛さんの言葉を伝授することは、なんびとたりとも到底できないことでしょう。
 ただ、私のように節電や募金でしか被災地の方々に心を寄せることしかできない者にとって、また、停電や買占め、放射能の影響など、子育て中の少しだけままならない状況にある者にとって、良寛さんの言葉は確かに妙法になります。
 とくに地震当日、帰宅難民になったオットとみのりを待っている間、私の心を平静に保ち、力強く守ってくれたのは、胸に抱いた新生児のぬくもりでした。この子が生まれて、子供を心配する気持ちは二倍になりましたが、二人分を心配するしあわせもはっきりと感じました。
 
 たくさんの方々に励ましていただきながら、私は今日も明日も昨日と同じ子育てを続けていこうと思っています。

 さて話は変わるのですが、前回のコメント欄の後半で、スーパームーンの話題をいただき、私も思うところがあって「この世のものとは思えないものは、やはり私たちが見てはいけないもの」なのだとの私観を述べました。
 これに付随するものではないのですが、今回の地震の前兆として気になることを日記にしてみたいと思います。が、限りなく私見ですので、皆様どうか読み流してください。

 阪神大震災で「件(くだん)」という妖怪の目撃談が語られたのを、私は当時興味深く聞いていました。
 件というのは読んで字のごとし、人の顔をしているが、身体は牛のかたちをしている怪物です。この異形から「件」という名が付けられました。ずいぶん古い頃から凶兆を知らせる妖怪として知られていたようですが、近年では江戸はもちろん、明治、大正、昭和にかけても現れて、戦争の開始、敗戦などについて予言していたようです。

 件には雌雄があり、雄の件は凶兆を予言すると、時を同じくして雌の件が生まれてきて、凶兆の回避方法を告げると言われています。また、件には知性があり、生まれてすぐに言葉を話し、予言をすると数日以内に亡くなってしまう、大変短命な妖怪なのだそう。

 角川文庫に収められている『新耳袋』に、この件が阪神大震災前に現れ、何人もの人が目撃したという話が載っています。神戸に現れた件が歩き去っていった方角に、大震災を引き起こす原因となった活断層があったとか。

 さて、この凶兆を告げる妖怪の話は皆様それぞれのご興味のほどにお任せすることにして、私がこのところ気になっていた「現象」についてお話させてください。「現象」といっても、とても個人的な──愛、燦々とにまつわるものです。

 どこからお話を始めたらいいものか。
 愛、燦々とと私は、お互いがお互いの人生の転機において、ほぼ100%の確率で「ピンとくる」というジンクスを持っています。それは出会ったばかりの中学生の頃から続いているもので、例えば愛、燦々とは、100%私の試験での合否を言い当てることができます。それは小テストの合否というよりも、大学の合格発表や生まれてくる子が女の子であるとか、そういった重要な事柄であればあるほど、見通しの確率は100%に近づきます。

 一方、私は愛、燦々との試験の合否や人生の選択にまつわる予見というよりも、愛、燦々との身に危険が及ぶことを「察知」する能力があるようで、もちろんそうしょっちゅうあっては困ることなので、これまでに数回予知して注意を促しただけにとどまりますが、やはり私の方も100%の確率で「当たる」と言ってもいいと自分でも感じています。

 第一回目は、私たちが中学生の頃、愛、燦々との家が全焼し、現場で彼女の姿を捜し求めているという夢を私が見たことからはじまります。この夢の光景は今でも思い出せるくらいなのですが、ともかく以来、私は愛、燦々とに「今後一生火事には気をつけるように」と口をすっぱくして言うようになりました。
 すると、それから二、三年もしないうちに、愛、燦々との家がボヤになり、弟の迅速な通報で壁面だけを焼いて消火する、という事件がありました。さいわい、ボヤ程度で済みましたが、弟が煙の臭いに目が覚めて、すぐに通報していなければ危なかった状況ではありました。

 次は地下鉄サリン事件で、私はこの事件の前に愛、燦々とと電話で連絡がつかないという夢を見てうなされたことがありました。すぐに愛、燦々とに「なにかあったらすぐにうちに電話をちょうだい。どんな用件でも、自分が電話した方がいいな、と思ったら躊躇しないで何時でもいいから電話かけて」と再三申し入れました。
 
 サリン事件があった日、愛、燦々とは卒業式のために朝早くから地下鉄に乗っていました。私はテレビで事件のことを知り、すぐに愛、燦々との固定電話に電話をかけたのですが、彼女はすでに家を出ていて不在でした。愛、燦々とが乗っていた電車は、一番被害者の多かった丸の内線でした。当時はまだ携帯電話など普及していません。私は生きた心地もしないで、でもどうすることもできずにテレビの前に座っていたのですが、ほどなくして──本当に時間をおかずに家の電話が鳴りました。愛、燦々とが無事を知らせるためにかけてきたのです。その時も今回と同じく、公衆電話の前の長蛇の列に並んで、やっと私に無事を知らせるための電話をかけてきてくれたのでした。

 「とにかく電話した方がいいと思ってさ」
 愛、燦々との声は今でも忘れません。
 私はあの時の電話を「いのちの電話」と称しています。

 三回目は今回の震災です。
 今回は前の二回と少し違っていて、なんというか「虫の知らせ」に近いものでした。
 仙台に引っ越す前、今からちょうど一年前のことになりますが、愛、燦々とは荷物になるという理由で、大型の天然木の棚を一竿、私にくれると言ってきました。愛着のあるものなので、廃棄してしまうには勿体無いんだそう。
 二つ返事で引き受けた私に届けられた棚は、とても立派なものでした。私は寝室に持っていき、本棚ではなくて、たくさんたまった自分のバッグ類を整頓して置いておく棚として使い始めました。

 そのうちに妊娠し、10ヶ月後に出産したのは皆様ご周知の通りですが、出産後に退院してきた3月2日の夜半、私は小さな異変に気づきました。
 寝ようとして静かにしていると、ミシミシッ、ミシミシッと音がします。
 パキッと小枝が折れるような音も混じります。
 私が頭をもたげてよく耳をすませると、それは寝ている私の左から──愛、燦々とからもらった棚が、あたかも地震で揺れているような音を立てているのです。けれども振動などはとくに感じませんでした。
 
 その時は訝しい思いで眉をひそめたのですが、愛、燦々とが長年使っていたものだし、親友からもらったものなので、とくに障りはあるまいと、そのままにしておきました。けれども、一度音を立て始めると、ずいぶん長い間ミシミシ言っています。ずいぶんはっきりとした「徴」に、日記のコメント欄にも載せようかと思っていたくらいでした。
 そのうちにオットも気づいたのですが、オットいわく、
 「この子、愛、燦々とのところに帰りたがってんじゃないの(←小夜子が気に入らない、または本棚なのにバッグを入れられているのが気に入らないの意)」などと冗談交じりで言うものですから、それならなにも一年も経ってから不満を申し述べなくてもよさそうなものなのに…と思っているうちに、3月11日の地震があり、なにか関連があったのだろうかと首を傾げているところです。

 震災後の今現在、棚の怪音は止んでいます。
 皆様は身の回りで起きる「虫の知らせ」めいた現象を、どうお感じになっているでしょうか。

 私は、日本古来の土地神の力を信じないことは、国の力も信じなくなったことだと思っています。
 地震との戦いは人の仕業からもたらされる戦争とは違い、本当の意味での国の戦い、聖なる戦いです。土地の神様の力を信じて、私たち人間がさらに豊かな未来を創り出していくことができますように。

 被災地への息の長い支援の輪を祈りつつ、
 また自分に言い聞かせつつ──

 

 
 





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最終更新日  2011年03月26日 15時39分09秒
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