守るということ
推し活で沖縄へ行った。沖縄へ行くと決めてから(半年以上前)沢山の情報が私の周りに集まってきた。〇〇に行ったほうがいいですよ!〇〇に行くと、龍が見える人達は号泣してたよ!あ、私もそこへ行くんだなぁと他人事のように感じていたけれど、実際まんまと同じ場所で泣いた笑そこには沢山の龍(エネルギー)が集まっていた。心地よく過ごし、次の場所へ向かうとそこには柵が設けられていた。今は中に入れないと行く前から知っていたけれど実際に見てみると悲しかった。イタズラが絶えず、やむなく柵が設けられ一般人は入ることのできない場所になっていた。結果的に神聖な場所を守るため、その他大勢を排除した形になっていた。地元の方が掃除をされ、ずっとずっと守ってこられた大切な場所。そこを観光客が土足で入り込み荒らしていく。その場所を守る人々より、荒らす人々が増えると守りきれなくなる。先ほどまでいた心地よい場所とは全く違うエネルギーだった。柵の奥の方へ意識を向けると、そこは始まりのエネルギーであることが分かった。全てを生み出す、「無」だった。「無」は「無限」の無だ。エネルギーの源は今でも黄金色なのに重く暗いエネルギーの中では、遠くまで届かない。懐中電灯の光のように、地上に上がるにつれて薄く白っぽくなり途中で途絶えていた。「あの場所と、つながりたかったのに つながれなくなっていた」そんな体感の後、繋がったことが分かった。その場所に辿り着くまでに巡った場所と繋がる体感があった。座って空を見上げると小さく細かい霧雨が空からサラサラと落ちてきた。龍がたくさんいた場所(私が泣いた場所)に、渦巻くように雲がたくさん集まっているのを見ながら、この場所へ来た。軟らかい霧雨は、しばらくすると土砂降りになりあぁ、浄化が起きたのだなぁと思った。(過去にそういう体験が何度かある。佐賀の雷山や、京都の貴船)守るという行為も「愛」には違いない。けれど、それは執着に近い「愛」になりがちだ。失うことに対する「恐れ」から芽吹く想いは執着になる。人が生み出す愛も素晴らしい。「執着」するということはそれだけ大切なものであるという証だ。宇宙の愛はとても大きく寛容。すべてのものを受け入れる。失うものは、本当は何もない。形がなくなったとしても、ちゃんと心に刻まれている。こんなに素敵な場所だったと誰かに聞くだけで無意識に同じ体験をしている。「無意識」(当たり前のこと)をどれだけ「意識」できるかということが心豊かに過ごすための鍵なのかなぁ。その日の夕方、当初行くはずのなかった場所に寄り道していると夕焼けのマジックタイムに招待された。美しいピンク色に空が染まるほんの数分間、海に沈む夕日と反対側の空を見上げると大きな虹がかかっていた。「ありがとう」そう言われているようで、魂が震えて泣いた。こちらこそ、いつも奇跡の瞬間に招待してくれてありがとう。(糸島の二見ヶ浦でも同じ経験がある)いつも、感謝で胸がいっぱいになる。私はひとも、大地も、自然も、大気も、人工物も、地球もすべて大好きだ。それぞれが選択した道を、尊重したい。今、あなたが持っているものは、あなたを表現するために必要なものだから。季節が変わって、選ばなくなったものとはお別れすればいいけれど、嫌だと感じるその部分もあなたを表現するためには大切な部分。何を選ぼうとも、愛されている。読んで下さり、ありがとうございます😊私達は同じ体験を、今したことになります笑あなたの日常に、もし洗い流したいものがあるとしたら綺麗さっぱり洗い流され、虹がでますよ🌈🌱今日もあなたらしい1日を愛を込めて。