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《脳死は人の死*臓器移植・・・ことに心臓の移植について》 20世紀を代表する俳優・チャップリンが語ったとされる言の葉 「人を一人殺せば大罪人、500人殺せば国は勲章をおくる」 何が正しくて、何が不正なのか、 そのときと場面で変わってしまう。 人は、勝手都合で根源的事実をごまかしてしまう。 ・・・と言いたかったのだろうか。 確かなことは、愚生には解らない。 人間の作る法律(正義や道徳、常識)の限界なのだろう。 言論と思想・信条・信教の自由をうたう日本国。 「心臓が欲しい」という人、「必要なし」という人、 背後でうごめく、医学者と為政者。 その思いと思惑は、事実であり自由だ。 唯、愚生に限ってのことではあるが、 忘れないでおきたいのは、不思議にも両親を縁に、 母の子宮に生まれた我が命は、 既に母の口を通った他の命によって、 我が命を生かしてくれている事実を。 命の長さや、状態で人に生まれた幸せの尺度とするには、 あまりにも悲しい。 生きるだけなら、他の生物も同様。 人に生まれた事実はその状態に関わらず、 尊厳あるものと信ずる。 生かされていることに目覚めて活きることの出来る チャンス=縁をよろこび、命の尊厳と心の平安を大切にしたい。 北條不可思 追記 仏教徒としては、仏典「盂蘭盆経」の目連尊者の母君が何故 餓鬼の世界に落ちなければならなかったかという説話を、 我が身に引き寄せて 深く聞いていかねばならないと確信している。
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Last updated
2009/08/17 04:09:31 PM
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