カテゴリ:より良く生きるために
昨日はお誕生日のコメントやメールをたくさん頂きまして、
ありがとうございます!! いやあ~正直いってあんなに頂けるとは思っていませんでした。 まだ、メールの方は全部お礼を言えておりませんが、 順次書いていきますので、もう少しお待ちください~。 しかし、去年までは司法試験で誕生日どころではない3年間でしたので、 本当に誕生日も久しぶりにきたという感じです。 (その分、年をとっていないのだ~笑) そして、昨日、誕生日というのに仕事で(泣) しかもいつもは九州でやるはずの会議が 東京であることになり、いつもは来ないはずの社長まで来ることになったので、 楽しみにしていたにしきさんのセミナーも ちょっと早退してまで行きにくいムードだったんですが、 図々しく懇親会に参加させて頂き、 またにしきさんのハイパワーを受け取るとともに その懇親会でも素敵な方々にたくさん会うことができました。 そして、昼頃、会社で 「あ~、誕生日なのに、仕事か~。 私も1度でいいから大勢に取り囲まれて、 バースデーソング歌われてみたいなあ~」と思っていたのです。 4月生まれ、5月生まれの方には、共感して頂けるでしょうが、 この時期に生まれていると、まだ、クラス変えで なじんでない頃だったりして、他の10月生まれの子の誕生日なんかは 盛大に祝うことを自分が企画したりはするものの、 なかなか自分は大勢に祝ってもらうことがありませんでした。 でも、仕事中にぼんやりそう思っていたら、なんと引き寄せましたよ~。 その懇親会にいらした50人ぐらいの方が 「ハッピーバースデー」を名前入りで歌ってくださったのです! いやあ…やっぱり、あります「引き寄せの法則」!! 思うだけでいいとは…これは便利。 どんな状況で誰が歌ってくれるとか全然考えていなかったのですが、 その光景を思い浮かべて、楽しい気分でいたら、引き寄せました。 会場にいらした皆様、本当にありがとうございます♪ さーて、今日は母の日ですね! 母の日も毎年、司法試験にあたるので、カーネーションは贈っていたものの、 精神的にゆっくり母に感謝するゆとりもありませんでした。 でも、ブログに「母の日」について書こうと思うと、 いろいろなことを思い、より感謝がわいてきますね~。 子供の頃、1番びっくりしたのは、 車が通る道で母が必ず私を内側に通らせてくれたことでした。 「ひかれたらあぶないから」と言うのですが、 「お母さんはいいの?」と聞くと、 「お母さんは大人だから、自分でひかれないように気をつけることができる」と 答え、この言葉から大人ってすごい、母親ってすごいなあ~と思いました。 自分のことよりも、まず子供の安否を気遣うことが自然にできるのが すごいと思ったし、子供である私は自分のことだけ気をつけていればいいのに、 母親は子供が3人いれば3人のことをまず考えて その後に自分のことを気をつけているので、すごいものだと感心していたんですよね。 そんな私ですが、大人になって、 たとえ我が身がどうなろうとも、子供の安否が1番大切、そう思った出来事がありました。 まだ、子供は授かっていませんが、 猫のふうちゃんは、赤ちゃんの時に拾ったので、 食事も猫の赤ちゃん用のクッキーを自分の口に一旦含み、柔らかくしてから食べさせたり トイレも箱を作って、出そうな時は私に合図をするようにとしつけ、 ネズミぐらいの子を自分の手で大きくしていったので、 単なる飼い猫の域を超えて、本当に自ら育てた我が子という感じです。 しかし、そんなふうちゃんを自分の不注意で 2週間、行方不明にしてしまったことがありました。 その時にご近所の家に隠れていないか、随分、お庭を探させて頂いたりしたのですが、 屋根をよじ登ったり、塀の上に登ったりして、普段だったら、絶対できないことなのに、 火事場の馬鹿力というか、我が子を助けるためには、親って何でもできるんですよね~。 全然、恐怖心とかなくて、とにかく我が子を助けたい!と思う一心でした。 親ってここまでできるんだな…と、初めて親の愛が逆にわかったような気がしました。 その後、ふうちゃんは無事に帰ってくることができ、 その後の我が家は一旦、離れたことが原因で、 お互いが一緒にいられることが奇跡のようにありがたいということがよくわかり、 より愛情を深くすることができました。 また、このことから、親というものはどれだけ子供のことを想っていてくれる存在なのか よりわかったような気がしました。 ふうちゃんを行方不明にするまでは、 ふうちゃんでさえも、代わりがきく存在だと思っていたのです。 事実、探している間に「そんなに猫がいなくて淋しいなら、うちの子を一匹わけてあげようか」 なんて言う人もいたし、うちの弟などは「もっと可愛い子が飼えるからいいじゃないか」 なんて言うのですが、 私にとってふうちゃんは他の猫で変わりがきくという存在ではなく、 世界中どこを探しても1匹しかいない、かけがえのない存在だということがより強く、わかりました。 そして、親というのは、たぶん、皆様のことを世界中の どんな人でも代わりがきかない大切な人だと思われているでしょうし、 すでに親になられている方は、お子様のことをそう思われているでしょう。 そして、自分の親もそうなんですよね。 長く一緒にいると欠点や癖などもいやというほどわかっていて、 口げんかをしたり、素直になれなかったりしがちですが、 お母さんというのは、他のどんな人にも代わりがきかない たった一人の大切な人ですよね~。 そして、ふうちゃん探しの時に、また母の愛を実感することができました。 ふうちゃんのことは、実家で母が随分可愛がっていたので 私はふうちゃんを自分の不注意で行方不明にしたことが 母にも申し訳がたたないと思っていたのです。 そして、子供というのは、心細い時に母親の言葉を聞きたくなるものなのか、 母に「ごめんなさい。ふうちゃんがいなくなったの」と泣きながら電話したら、 母の言葉は意外にも、 「○○ちゃんにこんな悲しい想いをさせるなんて、風子のばかやろう」と 私ではなく、ふうちゃんのことをののしりだしたんです。(ふうちゃん、ごめん…) これを聞いて、母親というのは、いつでも娘のことを 1番に心配してくれ、世界中の人に責められるような状況になっても 自分の味方でいてくれる存在なのだな~とありがたく思いました。 そうそう猫と多く接していると、猫のお母さんというのは本当に愛情深いですね。 独身(?)の時は食い意地がはっていた子も 子供ができたら、子供が全員食べ終わるまで 自分は食べようとしなかったり、 1度、屋根の上から降りれなくなって泣いていた子猫を お母さんが一生懸命、近くまでいっておりてくる方法を 教えて、一緒に降りてきたりしたことがありました。 また、生まれたばかりの子猫を普通は人間には 決して触らせてくれないものですが、私はよく触らせてもらいます。 他の人がいくとウーウー唸っているのですが…。 ちゃんと賢いお母様猫たちは、自分の味方の 人間には特別なはからいをしてくれるようです。 母親猫に安心して子供を抱かせてもらう時、 私は人間と猫の間の壁を超越して、愛で繋がることができたような気がします。 そして、最近、親の愛について深く考えることができる映画を観ました。 母ではなく「父と暮らせば」なんですが…。 原爆投下によって多くの人が命を失った広島で 主人公の美津江(宮沢りえ)は、奇跡的に助かったものの、 一緒にいる父親の命を救えなかったことに負い目を感じ、 自分は幸せになってはいけないと、人を好きになることも禁じていました。 でも、美津江の心にほのかに恋心が芽生えた時、 父親(原田芳雄)は幽霊となって現れ、一緒に生活し、 彼女を結婚させるように必死に協力します。 お父さんを置き去りにしたような人間に幸せになる資格はないと 激しく自分を責める娘に、父親は 「あの時に自分を置き去りにして、逃げてくれたことが最大の親孝行なのだ。 親というのは、娘が生きていてくれるのが、最高の幸せなのだから」と 言って、娘に結婚を決意させて消えていきます。 いつも子供は自分のしていることが足りないと自分を責め、 親も子供にしてあげられることが少ないと自分を責めたりしがちですが、 本当は生きていてくれるだけで、ありがたい、 何ものにも替えがたい幸せなことなんですよね。 だから、一緒にこの世で生きている間は お互いができていることが少ないと嘆いて時間を使うより 一緒にいられる時間を感謝して、より深く愛を伝えあっていきたいですね。 また、ご両親を既に亡くされた方もお子さんを亡くされた方も、 この広い宇宙に本当は死などないのだから、 時空が違うだけで、亡くなった方もいつも見守っていてくれる存在だと思います。 そして、健在にしろ、他界されているにしろ、 きっと親は子供の幸せを1番に考え、 子供も親の幸せを1番に考えているものなら、 結局われわれひとりひとりが、いつも幸せにこの人生を楽しんでいることが 1番の親孝行でもあり、子供孝行でもあるのでしょう。 母の日は母に感謝すると同時に せっかくこの人生を生きるチャンスを頂いたのですから、 より楽しみ、幸せになることを誓う日にしたいと思います!! ←クリックして頂けたら幸せです♪読んでくださり、本当にありがとうございます!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年05月11日 21時25分04秒
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