こういう生活が、いつまで続くのか?
昨日は残業で帰りが遅くなり、そのままダラダラと過ごして寝てしまいましたが、実は昨日は、私の第3の誕生日でした(^▽^)血液透析に移行して10年、めでたく10歳です1日遅れてしまいましたが、今日はケーキで母と一緒にお祝いしました。(因みに、父は出かけていて留守〜)1年を52週と計算するなら、週3回の透析で156回、つまり10年で1560回以上の透析を受けたことになります。穿刺に至っては、1回の透析で抜血側と返血側と最低でも2本は刺すので、単純計算で3120回。勿論、うまく血管に入らずに刺し直したことも多いので、実際の回数はもっと多いのですが、、、(^_^;)シャントのある私の右腕、頑張ってくれてますよね〜(*^▽^*)左腕と比べると、肌の色や質感はどうしても違ってきてしまいますが、半袖を着ても何の問題もない程度にキレイな状態を保てていますから、穿刺をしてくださっているスタッフの皆さんにも感謝です(^人^)私は血液透析に移行する前に腹膜透析も経験しているので、結構長い透析人生を歩んでいることになりますが、時々ふと 「こういう生活がいつまで続くんだろう」 と思う時もあります。でもまぁ、その答えは既に明白に出ていて、今の医学では、移植していただくか死を迎えるか、そのどちらかしか今の生活を終える方法はないので、考えても仕方ないって、頭ではわかっているんですけどね〜(^▽^;)でも、、、透析患者だけが特別ってわけじゃないと思うんですよ。心臓病の人だって、肝臓病の人だって、目が見えない人だって、耳が聞こえない人だって、その人が与えられた環境の中で、時にもがいたり悩んだりしながら、みんな一生懸命生きているんですから。私の職場に来院される患者さんだって、そう。治療や手術で治る方も大勢いらっしゃるけど、何をしても治らない病気の方だっていらっしゃいます。「こんなにお若いのに」 という方もいれば、「こんなお歳になられてまで」 という方もいますが、皆さんそれぞれの人生があって、それぞれの環境で頑張っているわけですから。自分が特別じゃないと思えるのは、もしかしたら私がいろいろな患者さんを見ているからかもしれません。こういう職種を選んだこと、自分の人生にとっては本当に良かったと今は思えます。1度しかない大切な人生ですもの、私だって、もし病気じゃなかったら、あれもできていたかもこれもできていたかもと、思ったことが無かったわけじゃありません。今だって、自分の子供が欲しかったという思いは心のどこかにあります。でも、これが現実なんですから、仕方ないですよね、、、。病気になったことに対する不平不満を並べてみても、病気が治るわけじゃないんですから。7歳という年齢で病気になったことで、失ったものは確かに大きかったけど、反面、得られたものだってあったことは事実。物事には必ず両面があるのだから、、、そう思います。ただ、もし贅沢を言わせていただけるなら、生きている以上は “元気” でいたいと思ってしまう欲張りな自分もいます。運良く移植していただくことができない限り、「こういう生活」 が一生続くことは充分受け入れていますし、健康な人のような長生きをしたいなんて思ってもいません。でもせめて、自分で自分の身の回りのことができて、自分が自分であるということを認識できて、最後まで周りの人に感謝の気持ちを持ち続けることができる、そういう “元気な” 生活を続けていきたいんです。私は無宗教主義者ですが、無神論者ではないので、誕生日のお祝いを兼ねて、カミサマが叶えてくれると良いなぁと願っています。ブログランキング 今後とも、ヨロシクお願いいたします★ → にほんブログ村 応援クリック、感謝しています★ →