|
カテゴリ:カテゴリ未分類
一生折れない自信のつくり方 この本とかで、「小さい目標をひとつづつクリアし、成功経験をつんでいくことによってのみ自信が生まれる」って書いてあったわけですよ。 読んだときは、本当にそのとおりだな、と思ったのだけど、よく考えたら、これ嘘じゃね?と。 自分、こつこつ努力が苦手なほうなんで、たいして努力で達成したことって多くないんですが、それでもゼロではないのよ。 たとえば・・・ ・二人の妊娠出産で増えに増えた+18キロを、あーやタン出産後1年で元に戻した(キリッ #もっとも、それから5キロリバウンドしましたがorz 育休復帰時ジャストフィットしてたスーツがキツイよ(泣) #走って落としてやるー!! ・いまだにランニングのトレーニングは続いている #足まだ完治してないので、ラン自体は中断してますが、毎日腹筋背筋インナーマッスル鍛えてますよー! 一応、達成はしてるし、目標もクリアしてるんだけど、それじゃあ自信をつけたか?というと、気持ち的には大きな変化はなくて、相変わらずぐだぐだ~っとしてる。 なんでかってと、理由は簡単で、達成しちゃったらそれが当たり前になってしまうからなんですよね。 あと、単に楽しいからやってることだったり、強制力が働いて自動運転状態だからできてる・・・つまり、自分の意思じゃないので達成感がないというのもあります。 たとえば、子どものころ毎日学校通って教室に座ってお勉強していたわけですが、これは勉強がしたい、勉強しなければいけないから・・ではなくて、単に朝になったら学校いって教室に座るもんだと刷り込まれてるからやっていたにすぎないわけで・・ それに、一段階ステージがあがったら、その分さらに上が見えるようになるので、むしろゴールが遠のいたような錯覚に陥ったりします。 たとえば、ランニングの例でいえば、 3日続いたら上等!→1週間続いたら上等→距離が2キロ→3キロ→5キロ→7キロ・・・・ とか、どんどん欲が出てきて、そのうち「目標フルマラソン!」とまじで言い出しかねない自分がいます・・・ 最初のころはコンスタントに走ってるってだけですごかったのが、走れるのは当たり前になってくると、次はもっと長く、もっと早く・・・と、だんだん欲が出てくる。だから、永久にゴールにたどり着けない。 だから、努力で目標を達成することでは決して自信は生み出されないんだなーと。 もちろん、初期状態と比べれば成長しているのは確かなので、元に戻りたいとは思いませんが・・・ 結局、 幸せは、自分の心がきめる (c)みつを なのね。 で、じゃぁ「幸せ」ってなんなのよ?となると、この問題は古典ギリシャ以来の大論争であって、快楽主義vs禁欲主義というか、いいカツオとわるいカツオが脳内バトル繰り広げていまだ決着つかず・・・な。 そう。なにが成功か?何が幸せか?これ、すべて自分で決めなければならないきわめて哲学的な問いなんですよね。 でも、これ自分で決めるのはものすごく大変な作業。本当に大変だと思いますよ。これが見つからなくて困っている人たくさんいるじゃないですか。私もですけど。体外の人は、ゼロベースから考え始めて、青い鳥探しに奔走して疲れてしまう。 疲れたらどうするか? 一番らくちんなのは、誰かが決めてくれること。 「誰か」の信頼性高ければ高いほど、安心して決めてもらえる。 だから、他の人に従う・・・つまり、空気を読む。 これがもっともっと突き進んで、究極的なレベルになると、神に従います・・・つまり、信仰する。 哲学と宗教って一見似てるんだけど、ベクトルは真逆ですな。宗教は究極の反知性ですよ。だって哲学は疑うことから始まるのに、宗教の場合、反論しようのないところから有無を言わさずトップダウンで啓示が下ってくるんでしょ。 なんの宗教でもいいんだけど、敬虔な信者が澄んだ目をして安らかでいられるのは、幸せの形をはっきりと認知しているからなんですよね。信仰というのは、つまり、神様が決めてくれたレールの上を走ると割り切ることだから。 決して悪いことではなくて、これによって安心が得られるし、もしコミュニティがすべて同一宗教であれば、コミュニティの規律もとれる。 でも、もし自分がゆだねるべき神が見当たらなかったら?すべての神を横に並べて、批判的にメリットデメリット分析せずにはいられないとしたら? 地獄に池ってことですかね。ふふっ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 14, 2010 01:22:23 AM
コメント(0) | コメントを書く |