僕が訴えを起こさない理由
このブログを今まで読んで下さってきてくれたかたの中には、「なぜそこまでひどいことをされていながら警察を訴えないのか」「やはりなんかやましいことがあるから訴えないのではないか」と思っている方は多いと思います。僕の場合訴えどころか抗議に行ったことすら1度もありません。しかし僕にはやましいことなど微塵もありません。そんな理由で訴えを起こさないわけではありません。今日は僕が抗議や訴えを起こさない理由について書きます。記事は長くなりますが、しかしそれほど特別な理由があるというわけでもありません。僕が警察から監視をされているのではないかと「強く」感じ始めたのは、00年の6月頃に家族が引ったくりに合って、その件で刑事が家に来て以降ということを書きました。(関連記事 07年6月25日「前回の記事の説明」 )僕は以前からうつ病や対人恐怖や視線恐怖があり、普通に人と接するのも怖いのに、ましてや警察に抗議に行くとなると恐ろしくて仕方がありませんでした。自分から警察署に乗り込んで行くとどんな目に合わされるのかが全く想像できないので、なにか恐ろしい目に合うのではないかと考えてしまうのです。それと監視を受け始めた頃は、本当に自分が警察から監視を受けているという確信は持てませんでした。いつも同じ場所で車が現れたり、セスナが現れたりすることだけでは、明らかにおかしいとは思いながらもそれが警察による監視だという確信はいま一つ持てないのです。これは僕と同じような目に合った方ならわかると思います。自分が警察という組織から監視を受けるということが普段の生活からは物凄く現実離れしていて、おかしいとは思いながらも信じることが出来ないのです。なので警察に抗議をしようと思い立っても、もし自分の勘違いだったらどうしようという不安があったので抗議を出来なかったということですさらに本当に警察が監視をしていたとしても、抗議に行っても警察が監視をしていることを認めなかった場合こちらにはなんの証拠もないので監視の証明のしようがないわけです。警察にしらばっくれられたらそれで終しまいなわけです。そして僕自身は当時は引ったくりの仲間程度で疑われているのだと考えていました。なのでそのうち警察は僕が無実とわかっていなくなるだろうというどこか楽観的な捉え方もしていました。<※ 去年になって、当時から自分が北朝鮮のスパイかもしれないという疑いをかけられていることがわかる>(関連記事 カテゴリーの「北朝鮮のスパイでっち上げに関する時系列表」など)そうして抗議もなにも出来ないでいるうちに01年9月になってしまい、9・11テロが起きたのです。それから家の近くや上空を自衛隊機が頻繁に飛ぶようになったのです。この自衛隊機に関しても始めのうちはまさか自衛隊が僕を疑って、家の上空を飛んできているなんて思ってもいませんでした。やけに飛行機が多いな、くらいの感じで捉えていただけでした。しかししばらくしてテレビなどで、テロ対策として不審者を見かけたら直ぐに警察に通報するようにという感じの呼びかけを頻繁に見かけるようになりました。こういう報道を見ているうちに、自分が警察から監視を受けていて、そして自分の家の上空では自衛隊機が通過していくという条件からして、自衛隊機はもしかして偶然ではなく、僕を狙って飛んできているのではないかと考えるようになりました。そしてよくよく自分が自衛隊から脅迫行為を受けそうな理由を思い返していったら、例の会社での事故を思い出したのです。(関連記事 07年6月25日「前回の記事の説明」 )そして自衛隊はあの事故を僕が引き起こしたテロだと考えているのではないかと思いついたのです。あの時は本当にぞっとしました。<※ 僕はこの時点ではまだ会社での「空き巣」の件を監視や脅迫と結び付けていませんでした>しかしやはりこの自衛隊機の脅迫行為もしばらくは今ひとつ確信が持てませんでした。それは警察の監視の時と同様で、自分が自衛隊から脅迫を受けるなんてとんでもない現実離れしたことを信じることができないのです。そしてその後、02年の9月頃になって、戸田市にある戸田公園に気晴らしに出かけたときに、荒川の土手の上で休んでいたところ、南のほうから民間タイプのヘリが飛んできて、僕の真上を通過して、その後今度は東の方から飛んできてまた真上を通過していきました。僕はこの時にようやく自分が警察からの監視を受けていることを確信したのです。家からこんなに遠くまで来ても、航空機が自分の真上を2回も通過するなんて。「偶然ではない、もう間違いない」と思ったのです。しかしそれ以降も何度も抗議に行こうと思いましたが、ギリギリになると、どうしても色々なことを考えて恐ろしくなって結局出来ませんでした。そして戸田公園へ行った2ヵ月後くらいから、監視を確信したストレスからうつがひどくなってきてさらに恐怖心が増して余計に抗議に行く気力が無くなっていきました。<※ この頃から1年ちょっとの期間うつ治療のために病院に通いました>この少し前から拉致などに関する北朝鮮関連の報道がどんどん増えていきました。その報道の中には北朝鮮の「工作員」という言葉が頻繁にでるようになりました。そういう報道を見ているうちに、今度は自分が北朝鮮の工作員として疑いがかけられているのではないかと考えるようになり、具体的にいつごろだったか覚えていませんが、しばらくしてから例の「空き巣」の件に気付きました。これに気付いた時もかなりのショックを受けました。テロリストだけでなく、北朝鮮のスパイとしても疑われる要素があるなんて、もうだめだと思いました。そして05年の終わり頃になって僕の知り合いと同姓同名の工作員の仲間がいたという報道あったり、06年には歯科医院の家宅捜索など色々なことがありました。(関連記事 カテゴリー「北朝鮮のスパイでっち上げに関する時系列表」)あまりにも話が大きくなりすぎて自分にはどうすることも出来ない。さらに恐ろしくなって抗議や訴えるといった考えからどんどん遠ざかっていきました。そしてそのまま数年が過ぎ、07年になって、ネットで自分と同じような行為を受けているかたのサイトを見つけたり、鹿児島の志布志事件(冤罪事件)を見て自分もネットを使って自分が受けている行為を広めてみようと考え、このブログを書き始めたのです。パソコン自体は05年頃からやっていましたが、ネットで北朝鮮やアルカイダ関連のことを検索したりすると、監視をしている警察から僕がそいうことに関係している、あるいはそういうことに興味がある人間なのではないかという疑いを強められると思い、恐ろしくてなかなか自由に検索できないでいました。しかしいい加減そういう状況がいやになって思い切って色々検索するようにしてみたら、自分と同じ目に合わされている人が他にもいたことを知りブログを書き始めたのです。結局情けない話、直接警察に抗議できないのでブログで抗議をするようになったわけです。これらが僕が抗議や訴えを起こせないというか、起こさない理由です。これらはそれほど特別な理由でもないと思います。理由は情けないものですが、大きな組織の不当行為に対して泣き寝入りする人は大体こういった感じの理由なのではないでしょうか。しかも僕の場合、疑いをかけられたのが、国を敵にまわすような大事件です。こうなってもおかしくはないことはわかっていただけるのではないでしょうか。なぜ今頃になってこんなことを書いたかというと、いかなる事件においても僕が完全に無実であることを証明したからです。(関連記事 カテゴリー「僕が無実である決定的な証拠」)今まで自分の弱みを警察などに見せるのが嫌だったので書くのを控えていましたが、もうそんなことも関係なくなったので書いたわけです。僕を未だに疑っている人たち、あるいは疑いを無理やりかけようとしている人間たちの中には、「お前(僕)が抗議や訴えやを起こさないことこそなんらかの犯罪の犯人である証拠だ」ということを考えている人がいるはずです。始めから自分たちで勝手に話を造って、勝手に疑いをかけておきながら、それに対する証拠が出ないとなったら今度は僕が何もしないことを疑う理由にする。そんなめちゃくちゃで横暴でふざけたことがあっていいはずがありません。それと今まで抗議や訴えを起こさなかったからといって今後もこのままかどうかはわかりません。いつスイッチが入るかわかりません。