東日本大震災の記録
3/11から約二ヶ月がたち、ようやく震災の事を書く気になれました。先ずはこの震災での犠牲者の皆様のご冥福をお祈りすると共に、ご遺族の方々に心よりお悔やみ申し上げます。東北の方々の被害には言葉もありませんが、ふろしきやのある茨城も大変な経験をしました。海沿いは津波も押し寄せたそうです。(報道で見て聞いて)正直、被災状況を見て回る余裕などなく、今まで自分の所の被害の収拾に手一杯でした。あの日は予定していた仕事が早く終わり、買ったばかりのスマートフォンの調子が悪いので、自宅近くのドコモショップで相談の順番待ちをしていました。30分ぐらい待たされて、自分の番号を呼ばれて椅子から立ち上がった瞬間に揺れ出しました。全面ガラス張りのドコモショップから、道を挟んだ向いの民家の瓦屋根が、スローモーションのように土煙を上げてくずれ落ち、いつもとは違う地震の異常な大きさに恐怖がこみ上げて来ました。揺れがおさまった後、店内はパニック。自動ドアが壊れ、他のドアも歪んでしまい、20人ぐらいがドコモショップに閉じ込めらてしまったのです。その後、店員の機転と誘導で倉庫のドアから脱出。車で自宅へ向いましたが、信号は全部消えていて大渋滞。大型スーパーの駐車場へ車を入れ、そこから自宅へ走りました。てっきり自宅はつぶれているかと思いました。が、母屋は無事、家族も無事でした。自宅は瓦屋根をやられました。家の中は電灯は落下していて家具がひっくりかえりめちゃめちゃ。倉庫は東西の石の壁が崩落、自宅裏庭は崖崩れ。これらは応急手当で業者がブルーシートをかけてくれましたが二ヶ月たってもそのままです。四日間の停電断水を経験しました。食料の配給と、給水車の列に娘と並びました。街中のコンビニは商品がなくなり、東北の被害に比べれば全然ですが、テレビで見る被災者というものに自分がなってしまったなぁと思える経験でした。結局、自宅と風呂敷倉庫、土地が被害を受けました。風呂敷倉庫の惨状。東西の石壁が崩落。地震前と後。コンクリートのタタキのひび。厚さ20センチはあるものが大きく割れました。土地全体が東へ移動して沈んだ感じです。すさまじい力。土地の陥没。約3メーター近く陥没してます。陥没したのは蔵のすぐ横。石垣で築いてあった裏庭も崩落。応急処置もまだ手つかず。余震と雨が怖い日々です。自宅ではありませんが、歩いて数分の菩提寺の墓地。うちはお寺の中、二カ所に墓地がありますが、こちらは古い方。江戸時代より前の墓石も折れてしまいました。なんにもないように見えるのは墓石が奥に転げ落ちているから。こちらは近代の墓地。立ってる墓石は1つだけ。幸い人の被害はありませんでした。もちろん風呂敷の被害もありませんでした。さて、ここからは前に進むだけ。(笑)頑張るぞ!風呂敷専門店「ふろしきや」